「LAと日本が熱狂」した“トルネード旋風” パイオニア野茂英雄氏を地元紙が特集
1995年にドジャースに移籍するとオールスター選出、新人王を獲得
新型コロナウイルスの感染拡大を受け開幕が大幅に延期となったメジャーリーグ。各メディアは様々企画を行っているが米紙「ロサンゼルス・タイムズ」は、ドジャースの歴史を振り返り、日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄氏を特集している。
「1995年にヒデオ・ノモが席巻。LAと日本でノモに熱狂」
こう見出しで伝えたのはドジャースの地元紙「LAタイムズ」。メジャーリーグに“トルネード旋風”を巻き起こした功績、そして元同僚エリック・キャロス氏が当時を振り返り野茂英雄氏を特集している。
野茂氏がメジャーデビューを果たした1995年は前年から続くストライキの影響で開幕が遅れるなど、メジャー球界は危機に直面していた。そんな中、日本人右腕がトルネード投法で打者を圧倒する姿にファンは熱狂し、酔いしれた。
記事では1992年に新人王を獲得し、主に一塁手としてドジャースで活躍したエリック・キャロス氏が野茂が移籍してきた当時を振り返り「僕たちはMLBが野球の世界最高レベルだと思っている。そして、日本で成功した人がやって来た。ここで成功するだろうか? あのワインドアップは通用するだろうか? ここでより効果的になるのか? それとも効果的ではなくなるのか?」と、当初は懐疑的な見方があったことを明かしている。
それでも、野茂はオールスターに出場し新人王を獲得。“トルネード旋風”“ノモマニア”などの言葉も生まれ「世界中で知られる有名人となった」と、すぐにファンから愛されるスター選手に駆け上がっていたことを言及している。
当時ドジャースの広報担当で現在はダイヤモンドバックスのCEOを務めるデリック・ホール氏も「彼は明らかにロックスターになっていた。フェルナンド(バレンズエラ)の熱狂についての話は聞いていたが、あれは私が今までに見たことがないほどの国際的なスターダムだった」と、その衝撃度を口にしている。
トルネード投法に大きな落差のあるフォークを武器に野茂氏はメジャー通算123勝(109敗)、1918奪三振をマーク。キャロス氏は「彼の成功が道を開いた。彼が成功していなかったら、多くの日本人選手がこちらに来られなかったとは思わないが、そのスピードはもっと遅かっただろうと本当に思っているよ」と、日本人メジャーリーガーのパイオニアとして成功を収めた野茂氏を称えていた。
(Full-Count編集部)