西武・森慎二コーチが急死 突然の負傷で現役引退も、指導で手腕発揮
2002年には当時史上最多の32ホールド、救援投手として多くの実績
6月28日に急死した西武ライオンズの森慎二コーチは、山口県立岩国工業から新日鐵光、新日鐵君津を経てドラフト2位で1996年に西武ライオンズに入団した。
入団当初から即戦力として期待され、先発として起用されたが、6月には中継ぎに転向し、27日の近鉄戦で初勝利。後半戦にはクローザーをつとめ、チーム最多の9セーブ、西武の優勝に貢献した。
この年のヤクルトとの日本シリーズ、第2戦では延長10回に5-5でマウンドに上がり、いきなり宮本慎也に左越え二塁打を打たれるが、続く真中、稲葉を連続三振、最後の佐藤真を左飛に抑えて、その裏に田辺のサヨナラ安打が出て勝利投手に。一躍注目された。
以後3年は救援とローテの合間の先発を兼ねる。2000年にはクローザーとして23セーブを挙げた。
しかし、以後は好不調の波が大きくなり、豊田清の台頭もあって中継ぎ、セットアッパーとして活躍した。2002年には最多の71試合に登板、当時は公式記録ではなかったが、その時点で史上最多の32ホールドを記録している。
オールスターゲームにも5回選出され、6回を投げて0勝0敗1セーブという成績を残している。日本シリーズには97年、98年、2002年、2004年に出場。1勝0敗0セーブだった。
速球とフォークというシンプルな配球だったが、球威があり、イニング数を大きく上回る奪三振。小さなフォームから投げ込む投法で、打者はタイミングが取りづらかった。