「8時半の男」の孫・宮田孝将氏が四国IL高知のアカデミーC就任 波乱万丈の人生
宮田コーチは昨季まで高知でプレー、18年にはリーグ5位の打率.319をマーク
独立リーグ、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスは2017年からアカデミーを設け、独立リーグ入りを目指す若い選手を育成している。このアカデミーのコーチに1960年代に「8時半の男」と呼ばれ一世を風靡した元巨人・宮田征典氏の孫の宮田孝将さんが就任した。
――宮田コーチは、日大一高から高千穂大に進んだ
「大学の野球部は2年でやめて、東京のクラブチームである東京メッツに入団しました。その後、BBCスカイホークスを経て高知ファイティングドッグスに入団し、3年間プレーして引退しました。今年25歳です。独立リーグ時代は外野手でした。駒田徳広前監督からはバットコントロールを評価されていました」
――高知ファイティングドッグスでは2018年にリーグ5位の打率.319をマーク、祖父の宮田征典氏はどんな人だったのか?
「僕が11歳の時に亡くなりましたが、“ジャイアンツの人だなあ”という印象です。礼儀正しくて、子どもなので厳しい人だとは思いませんでしたが、身なりや態度はきっちりしていました」
――宮田征典氏は「小学校時代は野球をやらなくていい」と言っていたと?
「『ボールを投げる筋力ができていないうちに野球をやっても体を壊すだけだから』と言っていました。本人もやっていなかったと思います。どちらかと言うと勉強していたんじゃないでしょうか(宮田氏は群馬県屈指の進学校である前橋高校出身)」
――宮田征典氏が“8時半の男”と言われたきっかけは?
「当時、テレビで“月曜日の男”というドラマをやっていました(TBS系)。ウグイス嬢の方(務台鶴さん)が、『そういえば宮田選手は8時半になったら出てくるよね、8時半の男だよね』と言ったのがきっかけだと言っていました」