12球団ドラフト史上最高“当たり年”は? DeNAは斎藤隆&“番長”入団の91年
まだ大洋だった1991年は斎藤隆、三浦大輔のほか永池恭男や有働克也が入団
毎年、100人近い新人が新たに飛び込んでくるプロ野球の世界。誰もが大きな志を抱いて入団してくるものの、活躍できるのはほんのひと握りしかいない。長いドラフトの歴史で12球団それぞれの最高の“当たり年”だったのは、いつだろうか。各球団を検証していってみよう。今回はDeNAだ。
1950年に大洋ホエールズとして誕生し、その後、大洋松竹ロビンス、洋松ロビンス、大洋ホエールズと名前を変えてきたDeNA。1993年に横浜ベイスターズ、そして2012年から現在の横浜DeNAベイスターズとなった。そのDeNAで最も“当たり年”となったドラフトは1991年だろう。
この年は4巡目までは重複選手抽選方式、そして5巡目以降はウエーバー方式でドラフトが行われた。当時の大洋は1位で斎藤隆を指名し、2位以下も永池恭男、有働克也ら、のちにチームの中心となる選手たちが加入。さらに下位の6位ではエースに成長する三浦大輔も指名されている。
東北福祉大から入団した斎藤隆は2年目の1993年に台頭し、29試合で8勝10敗の成績をマーク。1996年には自身初の2桁10勝をマークし98年に13勝、99年には自己最多の14勝を挙げ横浜の柱となった。2001年、2002年には抑えを任されて活躍。2006年からはドジャースやレッドソックスなどMLBでもプレー。楽天で現役を引退し、今季からヤクルトの投手コーチとなった。
2位の永池は高卒で入団し、2年目から1軍でプレー。横浜から巨人、近鉄、楽天と渡り歩いて1軍で349試合に出場した。3位の有働も横浜の先発ローテを担い、1994年には8勝をマーク。中日や台湾の和信でもプレーした。
そしてこの年の6位で入団したのは“ハマの番長”三浦大輔だった。奈良の高田商高から入団すると、4年目の1995年に8勝をマーク。その後、横浜のエースに成長し、7度の2桁勝利を記録した。最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率のタイトルも1度ずつ獲得。その熱い投球スタイルでファンからの人気も絶大だった。現在は2軍監督を務めている。
この1991年以外にも、河原隆一や波留敏夫、大家友和を指名した1993年や村田修一と土居龍太郎が自由枠で加入した2002年、山崎康晃や石田健大らの2014年も、DeNAの歴史の中で“当たり年”と言える年だろう。