「ファンは最高だった」 元ヤクルト助っ人が語るNPBと日本愛
「バンドがいるのです」日本の応援スタイルに驚いたハドラー氏
1993年に野村克也監督のもと、ヤクルトのリーグ優勝と日本一に貢献したレックス・ハドラー氏。わずか1年で退団となったものの、この1年の来日経験はハドラー氏にとってはかけがえのないものになったよう。自身のYouTubeチャンネルで日本での経験を語っている。
ヤンキースやオリオールズ、エクスポズ、カージナルスを渡り歩き、1993年にヤクルトに入団したハドラー氏。ヤクルトでの1年を「最高のシーズンとなった」と回顧している。来日時を思い返し「日本に着くと、カメラマンだらけでした。私はメジャーリーグではユーティリティプレーヤーでしたが、日本は私をスターの気分にさせてくれました。最高の気分でした」と語っている。
その中でハドラー氏は日本野球の思い出深い出来事として、日本独特のファンの応援を挙げている。日本の野球に適応するためには様々なポイントがあったというハドラー氏は「日本の野球でアジャストしたことの1つはスタンドの応援団です。バンドがいるのです。彼らは選手全員の為に歌を歌うのです」と、鳴り物と応援歌で応援するスタイルに驚いたという。
「ある試合で私が二塁を守り、ジャック(・ハウエル)が三塁を守っていた時のこと。私は内野の反対側に居る彼に『なあ、ジャック。音楽を止めてくれ! もう耐えられないよ!』と言いました。彼は私の方を見て、首を振りながら『ハッド、君はここの野球を変えることはできないよ。これが彼らの野球なんだから、慣れるしかないよ』という感じでした」。チームメートだったジャック・ハウエル氏からの一言で、この応援を受け入れることを決意した。
この年、ハドラー氏は120試合に出場し、打率.300、14本塁打をマーク。チームはセ・リーグ優勝を果たし、日本一に。当初は応援に違和感を覚えていたハドラー氏も「私はそれを受け入れ、私は自分の曲が大好きになりました。実際、私は今でも(歌詞を)暗記しています」と明かしている。
「(日本の)人々は素晴らしかったです。ファンは最高でした。彼らは野球を愛しているのです。彼らは応援をしますが、ブーイングをしません」と、日本のファンを絶賛するハドラー氏。27年が経過した今でも、わずか1年だけの来日経験が深く胸に刻み込まれているようだ。
(Full-Count編集部)