「ノムラさんは日本の伝説」 日本一に貢献した元ヤクルト助っ人が語る野村克也氏
1993年のヤクルトでプレーしたレックス・ハドラー氏「私はノムラさんが大好きでした」
1993年に野村克也監督のもと、ヤクルトのリーグ優勝と日本一に貢献したレックス・ハドラー氏。わずか1年で退団となったものの、この1年の来日経験はハドラー氏にとってはかけがえのないものになったようだ。自身のYouTubeチャンネルで日本での経験を語っている。
野村氏との出会いがメジャー復帰を実現させた。ハドラー氏はヤンキースやオリオールズ、エクスポズ、カージナルスを渡り歩き、1993年にヤクルトに入団。その後もエンゼルス、フィリーズでプレーを続け1998年に現役を引退している。
日本球界でのプレーは1年間だったが「私が(ヤクルト退団後に)もう5年間アメリカでプレーできたのは、彼の存在があったからです」と振り返っている。入団当時は米国に比べ長時間のキャンプ、変化球中心の配球面などに馴染むことができず「大変でした。彼ら(日本)の野球に慣れることが」と苦労したという。
“助っ人”として大きな期待を込められシーズンがスタート。だが、ハドラー氏は中々、結果を出すことができずある時、野村監督から監督室に来るように言われたという。
「チームが勝てない理由は君にある」
日本の野球に慣れるため試行錯誤を続けていたハドラー氏。野村監督からの“ダメだし”にも心が折れることはなく「ハハハ。『15分かけて言ったことがそれなのか?』と心の中で思いました。『野球に慣れて、彼が私に求める選手になってみせるから』と伝えていてくれと通訳に言いました。時間がかかるんだ。慣れるための方法を学んでいるんだって」と、活躍することを約束したという。
その後は徐々に日本人投手にアジャストし結果的には120試合に出場し打率.300、14本塁打、64打点をマーク。チームは2年連続3度目のリーグ優勝と日本一を達成し最高の1年となった。
野村監督と交わした約束を守り、チームの日本一に貢献したハドラー氏。名将との出会いに感謝しているようで「私はノムラさんが大好きでした。彼のもとでプレーするのは、ヨギ・ベラ、ビリー・マーティン、アール・ウィーバー、ジョー・トーリのもとでプレーしているような感じでした。カツヤ・ノムラの下でプレーできたことに、心から感謝しています。ノムラさんは、日本の伝説です。そして、本当に優秀な野球の指導者です」と語っていた。
(Full-Count編集部)