【畏敬の念を込めて。2013年に亡くなった戦士たち】川上哲治氏の意を汲んで戦う指揮官たち
川上さんが“起源”となって生まれたもの
「打撃の神様」川上哲治さんが10月28日、93歳で亡くなった。老衰だった。巨人を率いた監督時代には1965年から73年まで前人未到の9連覇を達成。現役でも打者として2351安打、投手でも通算11勝を挙げた。プロ野球を発展させた第一人者だった。先日、お別れの会が開かれ、ONこと、王貞治氏、長嶋茂雄氏らが、川上監督との別れを惜しんだ。
長嶋、王の両氏がその後、監督を務め、今の原辰徳監督に至るまで、その血は受け継がれている。ただ、川上監督の野球道が浸透しているのは何も巨人軍だけでなさそうだ。
西武で9年間、8度の優勝を果たした森祇晶氏は巨人V9時代の正捕手だった。現役時代、チームは補強でどんどん捕手が加入し、捕手以外にも西鉄の日本一3連覇に貢献した主力打者・高倉照幸外野手をトレードで獲得するなど他球団の血を入れ続けた。その補強には賛否両論があり、森氏自身、否定的な目で見てしまうこともあったが、監督になってみてわかった。レギュラー選手に刺激を与えることで、甘えがなくなり、選手はさらに強くなる。川上さんは厳しさの中に、しっかりと狙いがある監督だった。西武の黄金期を作った森氏も厳しい監督として定評があった。その中で、秋山幸二(ソフトバンク監督)、渡辺久信(前西武監督)、伊東勤(ロッテ監督)らといった監督になれる器の選手を育てていった。そして、彼らのもとでまた今も選手が育っていっている。
直接的に巨人と関わらなかった野村克也氏にとっても川上さんは憧れで、神に近い存在だった。その偉人を手本とし、川上さんがいなければ自分もいなかったと断言している。落合中日GMにとっても、尊敬してやまない存在であり、楽天・星野監督やDeNA・中畑監督も影響を受けてきた。
現在の若い選手たちには当たり前であることが、実は川上さんが“起源”となって生まれたものもたくさんある。日本ハム・大谷の存在で話題になった「二刀流」も、川上氏抜きでは語れない。データ野球やトレーニングコーチという肩書のコーチの導入もそうだ。球界にとって大きな存在を亡くした2013年の秋。巨人の永久欠番となった16を背負った男の偉大さは、今後も永遠に日本のプロ野球に刻まれていくことだろう。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count