「1番の親友でした」 元近鉄ローズ氏が明かす中村紀氏との友情と日本時代の秘話
忘れがたい近鉄戦士たちとの交友「まるで家族のような関係だった」
過去4回にわたって連載してきた外国人OB選手インタビュ―。第5回はNPB史上最もインパクトを残した外国人選手と言っても過言ではないOB、タフィー・ロ―ズ氏のインタビューをお届けする。続いては後編。
1996年に来日し、13年間のNPB生活で残した本塁打数464本は、今なお外国人選手として歴代1位。4度の本塁打王を獲得し、外国人選手では初となる1000打点の記録を達成(通算1269打点)、そしてNPB歴代最多となる14回の退場処分と、まさに記録にも記憶にも残る選手だった。
――近鉄時代のチ―ムメイトに言及していた、水口氏、吉岡氏、中村紀氏、彼らとのエピソ―ドなどは?
「私とノリはとても親交が深かったですね、彼はチ―ム内で一番の親友でした。親しかったのは、ノリ、吉岡、磯部、大村(直之)、水口、いつも一緒にご飯を食べにいっていましたね。日曜日や移動日、いつも一緒でした。まるで家族のような関係だったと思います」
――それが、チ―ムの結束につながっていた
「そうですね。彼らは全員私より若かったです、私が日本で最初の年は確か28歳で、ノリ、大村は20、21歳くらいでした。彼らは私に日本語を教えてくれました。毎日毎日、『通訳いらない、君に通訳なんて必要ないだろ』とばかりに日本語で話しかけてくれたんです。おかげで3シーズン目には、だいぶ上達しましたよ」
「最初に近鉄バファローズでプレーできたことは、恵まれていたと感じています。なぜなら、最初は日本の“野球”にどうやって順応していけばいいのかわかりませんでしたが、でもバファローズは辛抱強く私を使ってくれました。来日して最初の3か月ほど、4月から6月までたしか打率は.250くらい。7月になってようやく日本の野球に順応できるようになってそこから一変しましたね。ほかの球団では、辛抱強く私を起用するのは難しかったのではと思います」
――関西での生活のことなどエピソ―ドは?
「最初の2年間は阿倍野に住んでいました。近鉄デパ―トのその辺。大阪での生活を楽しんでいましたね。最高でした。ノリと吉岡とよく一緒に心斎橋へ行きましたし、本当に楽しかったです。大阪は素晴らしい街で大好きです。思い出といえば、焼き鳥、すき焼き、しゃぶしゃぶ。そして相撲、大阪城が好きでした。2015年に富山にいた際に一度だけ祭りに行ったのですが、それも良かったですね」
「大阪の人たちは日本語でなく、関西弁を話しますよね。それが私にとってとても心地のいいものだったんです。大阪の人々は東京などに比べてとてもフランクだったので、私には合っていました。大阪で電車に乗ると車内のあちこちから話し声が聞こえてきますが、東京で電車に乗ると本当に静かですよね。誰も喋っていません(笑)。私は大阪のその雰囲気が大好きでしたね、居心地がいいと感じました」
「『ヨッシャ―』は好きな日本語です。私が知っているほかの大阪弁は『もうかりまっか』『ぼちぼちでんな』あとは『もうええっちゅーねん』ね! 練習時のランニングで梨田さんが『ラスト!』と言うんですが、私は「もうええっちゅ―ねん」と思ったものです。そのやりとりをよく覚えていますよ(笑)」
「日本語は、テレビCMを見て覚えていました。あとは、『ミナミの帝王』ですね。よく見ていましたよ。でも、内容を理解するのがとても難しかった。作中でアニキという単語が出てきて、『あぁ、これは兄弟という意味なのか!』と思ったものです。あとは、『よーっ、さかい、やすいー、仕事きっちり(引越しのサカイのCMフレ―ズ)』も覚えています」