NPB復帰目指す元オリックス佐藤世那の覚悟と後悔 「笑ってられる立場じゃない」
昨年7月、高校時代から痛みを抱えてきた右腕にメスを入れる決断をした
2015年夏の甲子園で準優勝、ドラフト6位でオリックスに進みながら、わずか3年で戦力外となった佐藤世那。現在はNPB復帰を目指し、クラブチーム『横浜球友クラブ』で練習を続ける。プロへ近い独立リーグでなく、クラブチームを選択した理由は何だったのか。戦力外から2年目のときを経て、そのすべてを激白した。
「すみません、今笑顔は封印してるんです。僕は笑ってられるような立場じゃないんで」。カメラを向けられた佐藤は、そういって困ったようなぎこちない表情を浮かべた。昨年7月、トミー・ジョン手術を決断。長年抱えてきた痛みと引き換えに、右腕には生々しい手術痕が残る。
「これでも有名な先生にすごくきれいに施術してもらったんですよ。高校2年の神宮大会が終わった頃から、痛み止めじゃ効かなくなって、病院にいったら疲労骨折と言われた。トミー・ジョンか、骨片を取るクリーニング手術か、痛みを我慢して投げ続けるか。選抜も決まっていたなか、1年間はノースローのトミー・ジョンを受けていたら間違いなく夏も投げられない。クリーニングだったら夏は間に合うかもしれないけど、選抜では投げられない。あのとき手術するという選択肢はなかったし、それは今も後悔していません」
痛みを抱えながらも、夏の甲子園では準優勝。その後行われたU-18でも実質的なエースとして日本代表の準優勝に貢献した。だが、怪我の影響と「アーム式」と呼ばれる投球フォームから指名順位は高くはなかった。チームメイトの平沢大河がロッテ1位で指名されるなど、同期が続々と上位指名を勝ち取るなか、焦りが佐藤の心を支配していく。
「手術を受けるなら、プロに入ってすぐだった。そこは悔いが残ります。もともと自分は3~4年かかる投手で、焦る必要がない1年目にちゃんと手術を受けておけばよかったなと。でもね、やっぱり投げたいんですよ。『焦る必要はない』と言われながら、それでも焦る気持ちを抑えられなかった」