プロ野球のMVP選考への不満は解消できるか “最優秀”を投票で決める難しさ
MVPは「チームへの貢献」と「個人の成績」のどちらで選ぶべきか
NPBにおける最優秀選手(MVP)の選考では、純粋な個人の記録よりも所属チームが優勝したか否かが条件として優先される傾向があり、それがMLBよりも顕著だというのはよく言われることである。調べてみると、確かにセ・リーグは設立後一貫して、パ・リーグは設立から30年にわたって、原則として優勝チームからMVPが選出されている。
セ・リーグでは1950年から2016年までの67シーズンで、非優勝チームからのMVPはたったの2人(のべ3人)しか選ばれていない。パ・リーグでも1950年から79年までの30シーズンでは、たったの1人。合計97シーズンでのべ4人しか選ばれておらず、極めて稀な出来事だったといえる。だが、それだけに選ばれた“のべ4人”の残した成績はすごい。
“のべ4人”とは2013年のウラディミール・バレンティン(ヤクルト)、1974年及び1964年の王貞治(巨人)、1963年の野村克也(南海)である。2013年のバレンティンは60本塁打を打ち、シーズン最多本塁打記録をマークして選出された(ヤクルトは6位)。1964年の王も同様に55本で当時の最多本塁打記録を更新してのもの(巨人は3位)。1963年の野村も52本塁打で当時の最多本塁打記録を塗り替えていた(南海は2位)。
唯一最多本塁打記録と関係なかったのが1974年の王であり、チームが勝率1厘差で優勝を逃したシーズンに600号本塁打を記録、その上で三冠王を獲得したことから選ばれた。なお、この“のべ4人”の成績を様々な指標を使って総合的に評価した場合、最も活躍したと見なせるのは74年の王であるようなのは皮肉なことである。
当時、MVPを選んでいた人たちは「最多本塁打記録を出さなければ、非優勝チームの選手をMVPに選ばない」などと最初から考えていたわけではないだろうが、投票行動の結果としてはそうなっている。日本では小技をからめたスモールボールが称賛されることが多いが、MVPの選考にあたっては、本塁打が特別なものとして扱われてきたのは不思議な感じも受ける。もし「1974年に優勝したのが巨人であった」または「同年に王がMVPを獲得できていなかった」としたら、現在に至るまでセ・リーグにおける非優勝チームからのMVPは、「最多本塁打記録をマークした者のみ」という結果になっていたわけである。地区制が敷かれていたりチーム数が多かったりと、一概に比較できない事情はあるにせよ、MLBにはこんな極端な状況は見られない。
パ・リーグの方は、1980年に新人ながら投手のタイトルを独占した日本ハムの木田勇がMVPに選ばれ(日本ハムは3位)、この年あたりが潮目となり選考する側の常識が変わったように見える。その後、パ・リーグからは時折非優勝チームからもMVPが輩出されるようになっている。なお、この転換に先立って、1978年に週に2度のペースでMLB中継が行われるようになり日本にMLBブームが訪れている。MVP選出基準の転換が、日本人にとってMLBが身近になった時期と重なるのは何かしら関係があるのかもしれない。