過去につけたのは26選手 大谷はエンゼルスの背番号「17」で伝説作れるか

エンゼルス入団を決めた大谷翔平【写真:編集部】
エンゼルス入団を決めた大谷翔平【写真:編集部】

過去26人は多彩な顔ぶれ、初代のフレゴシは後に「11」で永久欠番に

 エンゼルス入団を決めた大谷翔平が、背番号「17」の赤いユニフォーム姿を報道陣に公開した。エンゼルスでは、27代目になる。日本では「17」は、「18」に次ぐエースナンバーだが、MLBではそうとは限らない。過去26人の背番号「17」は実に多彩な顔ぶれだ。成績はエンゼルスの背番号17をつけて残したもの。

◯初代から10代目(1961年から1976年まで)

ジム・フレゴシ・1961年 内 11試6安0本3点0盗 打率.222
フレッド・ニューマン・1962年-1967年 投 108試33勝39敗0S 防御率3.41
ムース・スタビング・1967年 内 5試0安0本0点0盗 打率.000
ビル・ハーレルソン・1968年 投 10試1勝6敗0S 防御率5.08
バーン・ガイシャ―ト・1969年 投 11試1勝1敗1S 防御率4.65
アレックス・ジョンソン・1970年-1971年 外 221試265安16本107点22盗、打率.310
レオ・カーデナス・1972年 内 150試123安6本42点1盗 打率.223
ボビー・ブルックス・1973年 外 4試1安0本0点0盗 打率.143
ミッキー・リバース・1974年-1975年 外 273試308安4本84点100盗 打率.285
オルランド・アルバレス・1976年 外 15試7安2本8点0盗 打率.167

 初代のフレゴシは、ルーキーイヤーだけこの番号を付けた。拡張ドラフトで新生エンゼルスに入団。翌年から「16」、さらに「11」に。ゴールドグラブを1回受賞、オールスターにも6度出場している。草創期のエンゼルスのチームリーダーであり「11」は球団初の永久欠番になっている。ノーラン・ライアンらとのトレードでメッツに移籍。のちにエンゼルスの監督にもなった。2014年に逝去している。

 2人目のニューマンは右の先発投手、初期の投手陣を担った。1970年から「17」を背負った6人目のアレックス・ジョンソンはこの年、.329で首位打者。のちインディアンスに移籍している。

 1974年から「17」をつけた9人目のミッキー・リバースは、日本でMLB中継がはじまった1977年頃、ヤンキースの花形外野手だった。75年には盗塁王。この背番号でリバースは売り出したのだ。

◯11代目から20代目(1977年から1999年まで)

デーブ・ラローシュ・1977年-1980年 投 210試26勝30敗52S 防御率3.89
エリス・バレンタイン・1983年 外 86試65安13本43点2盗 打率.240
トニー・マック・1985年 投 1試0勝1敗0S 防御率15.43
ジャック・ラゾーコ・1987年-1988年 投 36試5勝7敗0S 防御率4.29
ディック・ショフィールド・1990年-1992年 内 234試176安1本19点11盗 打率.238
チャド・カーティス・1992年 外 139試114安10本46点43盗 打率.259
ケリー・グラバー・1993年 内 18試18安3本9点0盗 打率.277
スパイク・オーウェン・1994年-1995年 内 164試133安4本65点5盗 打率.274
ベン・ヴァンリン・1996年 投 1試0勝0敗0S 防御率0.00
チャック・マケロイ・1996年-1997年 投 14試5勝1敗0S 防御率3.10

 11人目のデーブ・ラローシュは救援投手として活躍。息子のアダムとアンディは最近まで内野手としてMLBでプレーしていた。16人目のチャド・カーティスは新人の年に「17」をつけ、いきなり43盗塁で注目された。のちにヤンキースなどでも活躍。

アースタッドは2000年に最多安打、エンゼルスの永久欠番は6つ

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