時代を切り拓いたジャッキー・ロビンソン 92歳夫人が語るデビューの記憶
4月15日にメジャー全球団が背負った「42」
今季開幕時にメジャー登録された選手は、アメリカ合衆国を合わせて18の国と地域の出身だったという。年々国際化が進むメジャーリーグだが、かつてはアメリカ人だけ、いや白人だけしかプレーできない時代があった。そんな野球が万人のスポーツに生まれ変わるきっかけとなったのが、アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンの存在だろう。
先日4月15日は、今から68年前の1947年にブルックリン・ドジャースの一員として、ロビンソンがメジャーデビューを果たした日。メジャーでは、2004年からこの日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」とし、偏見と差別が渦巻く中でも果敢にプレーし続け、後進の門戸を開いたロビンソンの功績を称えている。
ロビンソンの物語は、2013年に公開された映画「42」でご存じの方も多いと思うので割愛したい。2007年、メジャーリーグはロビンソンのつけた背番号「42」を永久欠番に指定。メジャー30球場には、必ず42の数字が掲げられている。
「ロビンソン・デー」が制定された当初は、各チームのアフリカ系アメリカ人選手が代表して背番号「42」のジャージを着てプレーしていたが、徐々に着用の希望者が増えたため、2008年からこの日は選手、監督、コーチらグラウンドに立つすべての人が「42」をつけて、ロビンソンの功績を称えることになった。
メジャーでは、2007年から平等な社会を訴える「シビル・ライツ・ゲーム(公民権ゲーム)」も実施している。今年は初めて4月15日に「シビル・ライツ・ゲーム」が行われることになり、その白羽の矢が立てられたのがドジャース-マリナーズ戦だった。ロビンソンがデビューしたドジャースが、この試合の趣旨にふさわしいことは間違いない。
一方で対戦相手のマリナーズを見ても、主力のロビンソン・カノは野球選手だった父が尊敬するジャッキー・ロビンソンにちなんで名付けたという逸話を持っていたり、マクレンドン監督は子供の頃にアフリカ系アメリカ人のチームとして初めてリトルリーグ・ワールドシリーズに出場していたりと、偶然かもしれないが、選ばれるべくして選ばれる対戦カードだった気がしてならない。