ゴールデングラブ賞・藤田一也を支えたプライド

藤田はいつから守備がうまくなったのか

 誰もが抜けたかと思ったセンター前への打球に、楽天・藤田一也(31)は追いついた。いくつもの安打性の当たりにくらいつき、難しい高いバウンドのゴロも歩幅を合わせて、さばいた。シーズン24連勝した田中将大投手も「藤田さんの守備がなければ、勝てなかった」と敬意を表するほどの華麗なセカンドの守備を何度も見せてくれた。今年のパ・リーグ二塁手部門のゴールデングラブ賞は文句なしの受賞だったと言えるだろう。

 藤田はいつから守備がうまくなったのか。鳴門第一高校(徳島)から近畿大学に進学し、2004年に横浜ベイスターズに入団。もともと学生時代から守備のうまさには定評があったが、藤田は自分の守備についてこう話している。

「守備はプロに入ってから、一番練習しました。高校と大学は一番、守備がうまかったので……」

 その先の言葉は言わないでもわかった。「練習する必要性を感じなかった」という意味が込められていた。つまり、守備がうまいという自信、プライドがあり、練習をしなくても誰よりも守備をこなせる選手だったのだ。

 そんな藤田は華麗な守備で魅了して、プロの門をたたいたが、強者が鎬を削る世界はそう甘くはなかった。自分の守備より遥かにうまい選手がいた。打撃も走塁も、上には上がいた。引退し、コーチに就任したベイスターズの守備の名手・進藤達哉にノックの雨を浴びせられた。「今でも基本は進藤さんのノックです」と思い出し、感謝するほど、左右、前後に振られるボールを受けまくった。

「進藤さんや馬場さん(2010年から内野守備走塁コーチ)から教わったことが大きいです」と藤田は言う。進藤氏は1997年から1999年に3度のゴールデングラブ賞を受賞、馬場敏史氏もオリックス時代の1995年、1996年と2年連続で受賞している。2人の守備職人のDNAを藤田は何万というノックとともに受け継いできた。

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