「明日雨やから」コーチの一言で狂った夜 ドラ1右腕を襲った罠…記憶喪失の“悪夢”
1981年ドラフト会議で阪急に1位指名された山沖之彦氏は、プロ1年目(1982年)に30登板、7勝15敗1セーブ、防御率3.84の成績を残した。史上初の新人投手で開幕戦セー…
「明日雨やから」コーチの一言で狂った夜 ドラ1右腕を襲った罠…記憶喪失の“悪夢”
1981年ドラフト会議で阪急に1位指名された山沖之彦氏は、プロ1年目(1982年)に30登板、7勝15敗1セーブ、防御率3.84の成績を残した。史上初の新人投手で開幕戦セー…
ドラ1入団も…待っていた衝撃「あ、無理」 キャンプで苦痛だった1時間半、悟った“現実”
衝撃を受けた。長身右腕の山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は専大から1981年ドラフト1位で阪急に入団したが、いきなり「“あ、これは無理”と思った」と話す。1982年1…
1球団だけ指名拒否「行きません」 険悪なはずが…4年後に待っていた結末「外れやろ」
元阪急・オリックス、阪神投手の山沖之彦氏は1981年11月25日のドラフト会議で阪急から1位指名されて入団した。当初は専大から、出身地・高知の社会人野球・四国銀行に進む考え…
ドラフト15日前…人生を狂わせた東京⇔高知「言われるのも嫌」 銀行内定ドタキャン「しゃくにさわった」
191センチの長身右腕・山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は専修大時代、エースとして活躍した。1981年の4年秋は7勝を挙げて、東都リーグ制覇に貢献した。1977年春の…
練習で自ら骨折「やってられん」 先輩の「誰や」に自暴自棄…それでも殴られた2年生エース
あまりの出来事に……。高知県立中村高から専修大に進学した山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神投手)は1979年の大学2年春の東都大学リーグで2部転落の屈辱を味わった。専大は…
プロ拒否も…破談になった法大進学 コンクリ2時間正座は「当たり前」、サイン首振りは“不可能”
元阪急・オリックス、阪神右腕の山沖之彦氏は1978年、高知県立中村高を卒業し、専修大学に進学した。当初は法政大に“内定”していたが、高校3年の1977年12月になって、中村…
スカウトにブチギレ「どこにも行きません」 プロ“お断り”決意…強烈に拒んだ1球団
思わず口にしてしまった。1977年、高知県立中村高3年の山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神投手)は春の選抜準優勝右腕となってブレークし、プロからも逸材としてマークされた。…
選抜準V→県初戦敗退で「監督とコーチが丸刈り」 想定外の結末に謝罪「負けるはずはないと…」
高校生活最後の夏は“まさか”で幕を閉じた。1977年、春の選抜準優勝の高知県立中村高エースだった山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は、その年の夏に甲子園へ戻ることはでき…
甲子園決勝の直前…相手監督が問題発言「後から聞いたんですけど」 決まっていた結末
1977年の「第49回選抜高等学校野球大会」で山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は甲子園準V右腕になった。部員数12人で“二十四の瞳”と称された初出場の高知県立中村高の…
甲子園で感じた“違和感”「うわぁ、これも」 拡大するゾーン…快勝続けた一因
元阪急・オリックス、阪神投手の山沖之彦氏は1977年の選抜高等学校野球大会で、部員数12人の“二十四の瞳旋風”を巻き起こした高知県立中村高のエースだった。春夏通じて甲子園初…
甲子園決定で「部員急募」も“全員スルー” 12人で大会へ…「誰も入らなかった」裏事情
NPB通算112勝を挙げた山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は1976年、高知県立中村高2年秋にエースとして高知大会を制覇。四国大会で準優勝を飾り、同校を初めて甲子園出…
「見に来い」「いや、いいです」…練習見学拒否も 騙された15歳「お前、今日から野球部や」
半ば強制的に……。阪急・オリックスで2桁勝利を5度マークするなど通算112勝を挙げた山沖之彦氏は1975年、高知県立中村高校に入学したが、当初は野球部に入るつもりはなかった…
与四球30で「もうボロボロ」 最多勝右腕が味わった“地獄”「野球やる気なくなりました」
阪急・オリックスで通算112勝を挙げ、最多勝に輝くなど活躍した191センチの長身右腕・山沖之彦氏は1973年、高知・黒潮町立大方中学2年になって軟式野球部に入った。中3時に…
「嫌いだったんですよ、プロ野球中継が」 ドラ1右腕が激白…耳にした“噂”「何人か亡くなった方が」
1984年に最優秀救援投手、1987年に最多勝と先発でも抑えでもタイトルを獲得したのが元阪急・オリックス、阪神投手の山沖之彦氏だ。高知県立中村高では1977年春の選抜準優勝…
折れたバットが頭部直撃…救急車で搬送「動くな」 飛び散った血「切れたところを縫って」
現役時代に阪神でレギュラーとしても、代打としても実績を残した八木裕氏は2023年シーズンから3年間にわたって日本ハム1軍打撃コーチとして尽力した。阪神時代の後輩である新庄剛…
予想してなかった新庄剛志からの電話 疑問だった誘い…見出した結論「失礼なことはできない」
元阪神で2003年V戦士の八木裕氏(野球評論家)は2009年から阪神2軍打撃コーチを務め、指導者人生をスタートさせた。2015年に退任し、2016年から2018年までの3年…
察した限界…監督から「どうするんや」 少なすぎた“復活”の可能性「もう無理」
“代打の神様”と呼ばれた元阪神の八木裕氏(野球評論家)は2004年シーズン限りで虎一筋の現役生活にピリオドを打った。プロ18年目の決断だった。腰痛が深刻な状態に陥り、シーズ…
日本シリーズ直前に衝撃報道…指揮官謝罪「すまんな」 マスコミに漏れ「まずいなと」
星野仙一監督率いる阪神は2003年にリーグ優勝を成し遂げた。1985年以来、18年ぶり8度目の栄冠。元阪神の八木裕氏(野球評論家)にとっては、プロ17年目での悲願達成だった…
泥船阪神のはずが「優勝するぞ」 新指揮官が猛烈ゲキ…拡声器が変えた“負け犬根性”
2002年シーズンから阪神は星野仙一監督体制になった。当初は野村克也監督の“4年目”になる予定だったが、夫人の脱税問題で2001年12月に辞任。その年に中日監督を退任した星…
36歳で打率1割台&1HR…「引退させられる」 野村監督の辞任で急展開、阪神元4番を救った“奇縁”
元阪神の“代打の神様”八木裕氏(野球評論家)は、1999年から2001年までの3年間の野村克也監督体制で不振にあえいだ。代打中心の出番ながら1999年は1本塁打、8打点。2…
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