ドラフトの陰の主役 感動を呼んだ広島スカウトの半生とは
大瀬良にも熱意は十分伝わっていた
広島は2009年のドラフトで、田村スカウトがマークしていた長崎・清峰高校の今村猛を1位で指名。その年の夏の長崎県大会の準々決勝で、その清峰を破り、甲子園に出場したのが大瀬良を擁する長崎日大高校だった。田村氏はこの頃から常に大瀬良を気にかけていた。
その5年分の思いは本人にもしっかりと伝わっていた。大瀬良はドラフト前まで12球団OKの姿勢を打ち出し、意中の球団名を挙げることはしなかった。だが、行き先が決まった後で、実は広島を希望していたことを明かしている。
プロ野球のスカウトの世界では、どれだけ強い思いを持って選手を獲りにいっても、本人に届かないケースが多い。それが大瀬良の場合は広島に気持ちが傾いていた。つまり、それだけ田村スカウトの熱意が並はずれていたということだ。ドラフトで田村氏が壇上に立った瞬間、大瀬良自身、「引き当ててくれるかもしれない」と感じていたという。
大瀬良が投手だったからこそ、田村氏の思いもとりわけ強かったのだろう。現役時代は捕手。約20年前は甲子園を沸かせた選手の一人だった。ドラフトの壇上に立つ姿を見て、懐かしさを覚えたファンもいたかもしれない。
当時、黒縁メガネの小柄な捕手だった田村と、かわいらしいルックスの投手・福岡真一郎の鹿児島商工バッテリー(3年生時は校名変更で、樟南高)はアイドル的な人気を博した。2、3年の春夏で計4度の甲子園に出場。田村は3年時に主将を務め、鹿児島県勢初の決勝進出も果たしている。
後に語り継がれるほどの存在となったのは、彼らの不運な散り際も一つの要因だった。1993年、田村が2年生の夏の3回戦。優勝候補と言われた茨城代表・常総学院を相手に序盤から4点をリード。福岡と田村のバッテリーは金子誠(日本ハム)らを擁する強力打線を0点に封じ込めていた。だが、結果は降雨ノーゲーム。翌日に行われた再試合では、投手戦の末、0対1で敗れてしまった。