同じ病気の人に届けたい 巨人の育成・柴田章吾が貫く生き様
大好きな野球と命がけで向き合った
あの夏、苦難を乗り越えてたどりついた甲子園のマウンド。2007年8月。愛工大名電の背番号10、柴田章吾投手は確かな足跡を残した。
夢のマウンドで勝利することはできなかった。それでも伝えることができた。
「同じ病気の人に、やればできるんだということを伝えたかった」
甲子園大会直前に自分が原因不明の病気であることを告白した。高校の寮の部屋の片隅には、薬が常備されていた。人知れず、入退院を繰り返してきた。
「普通の人のように生活がしたい……」
同情されたくないという思いから、チームメートにも2年半も伏せていた。同僚たちは大会前に知った衝撃の事実と、彼が一人で戦っていたことに涙が止まらなかった。柴田が尋常ではない精神力を持っていることは誰もが認めるところだ。並大抵の決意と努力がなければ、たどりつけない境地に、柴田は立っていたのだから。
柴田が患う病は「ベーチェット病」という。厚生労働省により特定疾患の認定される難病で、日本国内に約1万8000人の患者がいる。慢性再発性の全身性炎症性疾患で、病因は現在も不明。人によっては、小腸などに炎症が起きて潰瘍ができる。そこから出血や発熱が起き、40度の高熱が出ることもある。眼症状では重症化した場合、失明に至るケースもあり、普通の生活を送るために、運動制限がされることが珍しくない。
小学校の時には全国大会で優勝。そんな柴田は、将来を嘱望され始めた中学3年生の時に病気が発覚した。名門の愛工大名電に進学後も、病気で全体練習に参加ができないこともあった。闘病しながらの高校野球生活。医者からは野球をやめることを勧められたこともある。両親や家族に心配もかけた。
だが、大好き野球をそう簡単にあきらめることはできなかった。柴田は命がけで野球と向き合った。