神村学園(鹿児島)の記録員が見つめた、特別な甲子園
中学校時代の仲間は大島高校へ進学した
登山くんは夢を追い、奄美大島を後にしていた。奄美市の金久中学校ではエース。九州大会ベスト4に入るなど、チームの主軸だった。
「甲子園に出るために強い高校に行きたかったんです。奄美では行けないと思った」。
そう振り返る登山くんは高校進学を決めるとき、故郷を離れ、鹿児島の強豪高校に入学することを選択した。他の仲間は、この島で強くなると地元に残った。中学のチームメートだった福永翔(たける)、竹山舟(しゅう)、森史行は大島高校への進学を決めた。
登山くんが見つめた甲子園のマウンドには、中学時代に控え投手だった福永が立っていた。一塁側アルプスに一番近いライトのポジションは竹山が守っていた。自分は記録員として甲子園に来たが、グラウンドには立てない。彼らの姿がまぶしく映った。
登山くん自身、大島の渡辺恵尋監督から「ぜひ、うちの高校に来てくれないか」と誘いを受けていたという。だが、2011年の夏の甲子園。奄美大島出身で小学校からの先輩だったショート・児玉洸が神村学園のユニホームを着てグラウンドを駆け抜けていた姿に、自分もその強豪校で甲子園に出たいという思いが強くなった。
後悔はしてない。だが、「複雑な気持ちです。頑張れ!とも思うし、悔しさもあります」とも漏らす。もし、渡辺監督の誘いに応じ、大島高校に進学していたら、どうなっていただろうか。