選抜高校野球を制した龍谷大平安 原田監督の男泣きを誘ったサプライズ

チームの課題をひとつひとつ消していった

 原田監督は呆れてものも言えなかった。内心では、はらわたが煮えくり返っていた。この生徒に対してではない。「こんな平安に誰がしたんや」。幼少のことから強い平安に憧れて、自分自身も門を叩いた。3年間必死にプレーした。甲子園には出場できなかったが、平安のユニホームで戦えたことが誇りだった。しかし、就任当時の生徒たちは戦う集団とはほど遠かった。

 野球以前の問題だった。原田監督は一から立て直した。「自分自身でチームの課題を挙げたら61個あったんです。消去法ですよね」。道具の扱い方、キャッチボール、スイング、ボールの捕球の仕方、グラウンドへ入る姿。細かい所まで指導した。

「根気強く、選手たちと葛藤してクリアしていきましたね。自分自身にもパワーがあった」

 今でも選手よりもウエートトレーニングをしていて、バーベルを上げることができる53歳。胸囲は驚異の114センチだ。

「何させても、自分の方が打てるし、守れるし、走れる。気持ちのパワーは現役時代からあったし、生徒たちには負けなかったですよね」

 気力、体力は高校生には負けなかった。

「1年目から見た子が一番犠牲になったと思うんです。平安を何とかしたい。自分の後輩という思いが強かった」

 送球、捕球の基本であるベース間のボール回しを夕方5時から11時まで徹底的にやり続けた。選手たちを終電ギリギリまで指導し、深夜0時前に駅まで選手たちと走り、電車に飛び乗った。

「当時は網なしグラブ、ひもがないグラブを使っていた」とグラブの芯や手のひらの真ん中でボールを収めないと捕球できない仕様のグラブを使わせた。一塁まわり50回。三塁まわり50回。ノーエラーでないと終わらない。

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