もう1度見たかった「上甲スマイル」 済美・上甲正典監督の厳しくも優しい野球人生
2度の選抜初出場V
1988年に宇和島東を選抜初出場で初優勝に導き、2校目の済美も2004年に選抜初出場で初Vと2度の初出場初優勝の偉業を成し遂げている。2001年に妻の節子さんを亡くし、同年に宇和島東の監督を辞任している。上甲監督にとって夫人の死は大きかった。しかし、後に夫人が上甲監督に残した言葉を聞かされる。
「好きな野球をずっと続けてほしい」
その言葉を聞いた上甲監督は、創部まもない済美高校を指導することに。福井優也投手(広島)、鵜久森淳志外野手(日本ハム)を擁し、04年春に優勝、夏は準優勝。野球人としての自分の目標、そして夫人の思いを甲子園の舞台で形にした。夫人との思い出の品であるハンカチをポケットに忍ばせて、試合に挑んでいたという逸話も残っている。
今年の愛媛大会で指揮を執っていた上甲監督は入院する1か月前まで、生徒たちのために、病と戦っていた。上甲スマイルをもう1度、甲子園で見たかったという野球ファンも多いに違いない。
プロ野球界、アマチュア野球界からもその死を惜しむ声がたくさん届いている。今頃、上甲監督は恩師でもある尾藤監督や愛する夫人と再会し、これまでの苦労を笑いながら話しているかもしれない。そして空から、楽しみにしていた教え子・安楽らの成長を「上甲スマイル」とともに見守っていくことだろう。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count