ワシントン監督の電撃辞任で広がる喪失感 レンジャーズが今こそ実践すべき指揮官の教え

ワシントン監督がボガー監督代行に残したアドバイス

 辞任を発表した前日も、新人外野手たちの早出守備練習に参加して熱心な指導をしていた。気温35度を優に超える真夏のテキサスで、午後2時という一番暑い時間帯にもかかわらず、若手内野手の早出守備練習で自らノックしながら熱心に指導する姿は日常の一コマだった。

 誰よりも野球を愛し、誰よりも野球に情熱を注いだ人物だが、それ以上に家族は大きな意味を持つ。ユニフォームを脱ぐ決意をさせたのは、やはり「個人的な問題」なのだろう。そして、ボガー監督代行という信頼できる人物がいたことも、その決意に踏み切る一因になったのかもしれない。

 監督代行として指揮を振るった次の日、ボガー監督代行はワシントン監督と電話で話し、アドバイスを1つもらったという。

「会見ではもっと笑顔を見せろよ」

 この言葉を聞いて、ふと思った。辞任のニュースが報じられてから、レンジャーズは選手もコーチもメディアもファンも、その喪失感の大きさから葬式のようなムードに包まれていたが、それはワシントン監督の教えに反する行為なのかもしれない。監督がみんなに教えてくれたのは、どんな逆境に立たされても、今という現実を受け入れて、前に進む原動力に変えることだと思う。

 監督を本当の父親のように慕っていた左腕デレク・ホランドは「今まで監督が自分のために何をしてくれたのか、それすら伝える時間もなかったよ」と話したが、監督に感謝の気持ちを伝えたいのであれば、これから選手として人間として少しでも成長することが最大の恩返しになるのかもしれない。

 ワシントン監督は、近しい人たちに「個人的な問題がひと段落したら、必ず現場に復帰する」と話している。復帰時期がいつになるかは分からないが、再会を果たすその日まで、各自が自習の時間をもらったと考えればいい。一回りも二回りも大きく成長した姿を見せた時、監督おなじみの満面の笑みがその顔に浮かぶことだろう。

【了】

佐藤直子●文 text by Naoko Sato

群馬県出身。横浜国立大学教育学部卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーとなり渡米。以来、メジャーリーグを中心に取材活動を続ける。2006年から日刊スポーツ通信員。その他、趣味がこうじてプロレス関連の翻訳にも携わる。翻訳書に「リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン」、「ストーンコールド・トゥルース」(ともにエンターブレイン)などがある。

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