中村紀洋の波乱万丈な現役生活 その野球人生は今後どのような軌跡を描くのか
2013年5月には史上43人目の2000本安打を達成
○拾ってくれた中日を去り、楽天へ入団もまた浪人生活へ
中日で約2年間プレーした後は、再びFA権を行使し、楽天に入団する。背番号は「99」。野村監督の元でパ・リーグに戻ってきた。しかし、成績不振などで2010年オフに戦力外、自由契約となり2度目の浪人生活へ。オフはバッティングセンターで汗を流し、現役続行へ意欲。どんな形でもいいと契約オファーを待つ。
○救いの手、今度は横浜DeNAベイスターズ
2011年。キャンプ、シーズンが始まってもオファーがなかったが、5月に横浜DeNAがオファー。代打の切り札として期待し、獲得した。オファーを受けた中村は涙を流したという。6月上旬に1軍登録され、62試合に出場。2012年は主軸として活躍し、オールスターゲームに8年ぶりに出場し、ホームラン。11年ぶり2度目のMVPを獲得するなど、浪人生活の苦労が報われるような輝かしい活躍を見せた。2013年5月には史上43人目の2000本安打を達成した。
○初めてではなかった采配批判と取られる行動
2012年8月。中畑監督からチームの方針に従わない言動があったとして、2軍行きを命じられる。球団関係者によると中村が打席に立った時に、走者だった俊足の内村がスタートを切り、盗塁を成功させた。中村は空振り三振に倒れた。その後、ベンチでなぜ盗塁をしたのかと内村を問い詰めたという。首脳陣は内村にいつでも盗塁をしていいように指示を出していた。それが中畑監督のチーム方針に従わない、と取られる言動につながってしまったという。
2014年。またも同じような形で2軍降格となり、シーズンの最後を迎えようとしている。年俸の浮き沈みや2度の浪人生活など紆余曲折な野球人生を歩んできた。だが、まだ野球への情熱は消えていない。この波乱万丈な現役生活は今後、どのような軌跡を描くのか。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count