【小島啓民の目】可能性を感じさせる19歳左腕 巨人・田口麗斗が持つ光る技術とは
代表チームでも欠かさなかった「シャドーピッチング」と「体力トレーニング」
要は、最初は意識して練習しているレベルであっでも、何かの際にコツを掴み、それからはとにかく、反復の中で覚えていくのです。このコツを掴むまでは、試行錯誤を続けることになります。禅問答のようになりましたが、結局、意識してやっている段階では、プロの1軍レベルにはなれない。気にかけていることが、無意識の中で繰り返しできてないといけないという境地にたどりつくために、反復練習が必要なのです。
田口投手も同様に一定のリリースの体得までは、反復を行なってきていますし、継続もしています。実際、日本代表チームの練習の時も、試合が終わってから必ず「シャドーピッチング」と「体力トレーニング」を欠かさず行なっている姿がありました。
1軍のマウンドに立つ、しかも高卒2年目の4月に先発をするということは、簡単なことではない。そこで勝った。そして、ローテーションでまわれる投球を続けているということはどう考えても快挙なんですよね。1回勝っただけという見方もありますが、プロ野球で1回勝つことがどれだけ大変なことか。そんな田口投手が勝てたのは、自分で良い球を投げられる一定のリリースポイントを知っているからだと思います。
さらに田口投手には、心強い味方もいる。以前、21歳以下のワールドカップで一緒だった豊田コーチが巨人の1軍にいます。「プロで生きるためには」との厳しい指導を受けていることもあると思っています。昨年の2週間程度の付き合いでしたが、田口投手と豊田コーチの師弟関係には、既に「信頼」が出来上がっているなと感じましたし、田口選手にとっては、「非常に良いコーチにつけて運が良かったな」とも話をしました。
以前、コラムの中で「明日のための練習、5年先のための練習」の話を書きましたが、田口選手は、将来のビジョンを明確に持って練習に取り組んだ成果が早い段階で実を結んだと言えるでしょう。
私は三菱重工鹿児島の監督時代に杉内という素晴らしい素材の持つ投手に出会いました。ストイックな彼に若い時代を見ているだけに、田口投手には「もっと頑張れ」とエールを送りたい。同じ左腕でスライダーが武器のチームメイトの杉内の姿勢も学び、、早くジャイアンツのエースになって欲しいと思います。それには、今の気持ちを忘れずにということが本当に大切です。
【了】
小島啓民●文 text by Hirotami Kojima
小島啓民 プロフィール
1964年3月3日生まれ。長崎県出身。長崎県立諫早高で三塁手として甲子園に出場。早大に進学し、社会人野球の名門・三菱重工長崎でプレー。1991年、都市対抗野球では4番打者として準優勝に貢献し、久慈賞受賞、社会人野球ベストナインに。1992年バルセロナ五輪に出場し、銅メダルを獲得。1995年~2000年まで三菱重工長崎で監督。1999年の都市対抗野球では準優勝。日本代表チームのコーチも歴任。2000年から1年間、JOC在外研修員としてサンディエゴパドレス1Aコーチとして、コーチングを学ぶ。2010年広州アジア大会では監督で銅メダル、2013年東アジア大会では金メダル。侍ジャパンの台湾遠征時もバルセロナ五輪でチームメートだった小久保監督をヘッドコーチとして支えた。2014年韓国で開催されたアジア大会でも2大会連続で銅メダル。プロ・アマ混成の第1回21Uワールドカップでも侍ジャパンのヘッドコーチで準優勝。公式ブログ「BASEBALL PLUS(http://baseballplus.blogspot.jp/)」も野球関係者の間では人気となっている。