阪神関本が聖地で19年の現役生活に別れ 第2の人生は「必死のパッチで…」
現場復帰にも意欲「またいつかこの甲子園に帰って来たい」
「この19年間には怪我が多い僕のために、体のケアをしていただいたトレーナーさん、治療科の先生、来たボールをただ打つだけでは打てない僕のために、サポートしていただいたバッティングピッチャーのみなさん、スコアラーさん、いつも僕たちのために最高のグラウンド環境を作っていただいた阪神園芸のみなさん。皆様一人ひとりの支えがあって今日まで来れました。本当に感謝しかありません」
スーパーサブとして活躍した37歳は、同じく裏方として自身を支えたスタッフにも感謝の言葉を並べた。
そして黄色く染まったスタンドを見渡し、「この甲子園球場にお集まりいただいたファンのみなさん、そして全国のファンのみなさん、今までで一番力になったのは皆さんの大声援です」とファンにも感謝。「ファンの皆さんの声援がなくなればやめると思っていました。しかし最後の最後まで大声援をいただきありがとうございます」と引退するに当たっての心境を吐露した。
通算1271試合、807安打。決して派手なプレースタイルではなかったが、堅実な守備と勝負強い打撃でいくつもの勝利をチームにもたらしてきた。しかしこの日、最後の打席をピッチャーゴロに倒れ、レギュラーシーズン最後の試合を終えた。
「阪神タイガース背番号3、関本賢太郎は今年でユニホームを脱ぎますが、第2の人生は皆さんの支えていただいた気持ちを胸に必死のパッチで歩んでいきたいと思います。そしてまたいつかこの甲子園に帰って来たいと思います。
最後に一つだけ言わせてください、今年10年ぶりの優勝は逃してしまいましたが、これからも阪神タイガースに熱い、熱い、熱いご声援をよろしくお願いします! 19年間本当にありがとうございました」
最後に阪神愛を語った背番号3。縁の下でチームを支え続けた勝負師は、数年後、再び聖地で縦じまに袖を通すこともありそうだ。
【了】
フルカウント編集部●文 text by Full-Count