FA移籍のもう一つの注目? 過去の人的補償選手を振り返る
ベテランが補償となることも、西武→ヤクルトの俊足外野手は15年目でキャリアハイの稀有な例
【3】最多賞左腕、最多セーブ右腕も…実績十分のベテラン編
◯小田幸平捕手(巨人→中日/2005年オフ、野口茂樹投手の人的補償で移籍)
巨人で阿部慎之助の控え捕手だった小田は中日に移籍時、当時監督の落合博満に高評価を受け、2番手捕手として山本昌らの信頼を獲得。2014年に現役を退くまでチームを陰で支え続けた。
◯工藤公康投手(巨人→横浜/2006年オフ、門倉健投手の人的補償で移籍)
西武、ダイエー、巨人と渡り歩いた当時の球界最年長左腕は若手が多い横浜に入団し、新しい風を吹き込んだ。若手の手本となるとともに、2007年には7勝(6敗)の成績を挙げ、26年目のシーズンにも関わらず戦力として十分な働きを見せていた。
46歳となった2009年にはリリーフとして46試合に登板。防御率は6点台と悪化したためこの年限りで横浜を去るが、2勝を積み重ねて通算勝利を「224」とした。
◯福地寿樹外野手(西武→ヤクルト/2007年オフ、石井一久投手の人的補償で移籍)
俊足を武器に広島、西武で活躍した外野手は、移籍後の2008年、2009年でともに42個の盗塁を決めて盗塁王に輝いた。入団した1994年から2005年までプレーした広島では代走での出場が主。2年間在籍した西武では91試合、117試合と出場機会を増やしていたが、ヤクルトに移籍すると2年連続で130試合に出場し、レギュラーのポジションをものにした。
2012年に引退したものの、FAの人的補償による移籍で晩年にキャリアハイの成績をマークした珍しい例である。
◯藤井秀悟投手(巨人→横浜/2011年オフ、村田修一内野手の人的補償で移籍)
2001年に最多勝に輝くなどヤクルトのエースとして活躍した左腕は、2011年に巨人で1試合のみの登板に終わると、DeNAに人的補償選手として移籍した。DeNA初年度の2012年は7勝(7敗)を挙げると、翌2013年は3完投を含む6勝(5敗)を挙げた。ベテラン左腕は手薄な先発事情のチームにおいて欠かせない存在となっていた。
◯馬原孝浩投手(ソフトバンク→オリックス/2012年オフ、寺原隼人投手の人的補償で移籍)
2012年オフにオリックスが獲得した馬原は、移籍2年目の2014年に55試合に登板し32ホールド。ソフトバンク時代の2007年にセーブ王に輝くなどリリーフエースとして君臨した実力を発揮した。しかし、今年はわずか9試合の登板に留まり、自由契約選手となっている。
◯脇谷亮太内野手(巨人→西武/2013年オフ、片岡治大内野手の人的補償で移籍)
2010年には巨人のレギュラーとして132試合に出場した内野手は西武に移籍すると、今年は118試合で打率.294。ユーティリティープレイヤーとしてファーストをメインにライト、サードと守備位置をこなした。そして今オフにFA権を行使することを表明した。
FA移籍は放出するチームにとっては大打撃だが、移籍先の球団で燻っている有望株や、プロテクトから漏れた実績豊富な選手を獲得できるチャンスも残っている。一岡のように新天地で環境を変えてブレイクする選手もいれば、奥村のように将来の主力候補として期待される選手もいるだろう。
FA選手の動向と共に、各球団がそのような見返りをどのような形で受けるのか。そんな駆け引きにも注目したい。
【了】
フルカウント編集部●文 text by Full-Count