ロッテのレジェンド、「オレたちの福浦」が歩んできた果てしなき道のり

プロ野球選手失格だと涙した1年目、「すぐにクビになると思った」

「明日から1軍だ」。秋田遠征中の1997年7月4日の夜。急な招集がかかった。その夜は興奮のあまり、眠りに就くことができなかった。だから、ホテルの自室でひたすらバットを振った。後日、同部屋だった後輩選手から「あの時は素振りの音が聞こえていて、寝られなかった。でも、邪魔をしてはいけないと、ひたすら寝たふりをしていた」と聞かされた。今となっては笑い話だが、当日はそれほど興奮をしていた。

 14時開始のデーゲームに間に合わせるため、秋田からの早朝の飛行機に飛び乗っての当日移動。打撃練習が終わりかけた頃にマリンに到着した。そして、まさかのスタメンを言い渡された。

「家族を呼ぼうにも急だった。だから誰も見に来ていない」

「7番・一塁」でスタメン出場。4回にはフレイザー投手から初ヒットを放った。インコースのスライダーにドン詰まりした当たりはポトリとセンター前に落ちた。記念すべき1軍でのプロ初ヒットだった。2000本安打を目前に控える男の伝説はまさにここから始まった。

「まさかね。あそこからここまで来るとはね。本当に思ってもいないよ。毎日が必死。一日でも長く、悔いのないように野球をやりたいという思いだけ。本当に毎日が、ガムシャラで、この世界で生き残るのに必死だった」

 18歳の頃は背番号「70」の細身のピッチャー。ドラフトでの指名は最後の7位。2軍の練習についていけずにグラウンドで課せられたランニングでは1周遅れ、2周遅れになった。そして暑さに耐え切れず毎日のように倒れてはベンチ裏で嘔吐を繰り返した。悩んで病院に行ったこともあった。医者には「鉄分不足ですね」と告げられた。プロ野球選手失格だと、情けなくなり、涙しながら帰路についたのは、もう遠い過去の話だ。

「これは無理だなって。すぐにクビになると思った。でも追い込まれていたからこそ、悔いが残らないように練習をしようと必死になった。だから投手から野手転向を勧められた時も、悔いが残らないようにチャレンジしようと切り替えることができた」

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