25年ぶりVへ広島牽引、野村はなぜ好調なのか 元恩師が語る5年目覚醒の理由
悪夢を払しょくした大学時代の日本一
田中コーチは懐かしそうにそう振り返る。岡山県出身の野村は中学時代、地元の野球チーム「倉敷ビガーズ」でピッチャーやショートとして活躍した。
「倉敷ビガーズでは、のちに明大でチームメートになる中村将貴(現・日立)と2人でピッチャーをやっていました。中村が投げる時は、野村はショートをやっていましたが、内野手をやっていた子はフィールディングが良いんです。大学に入って、ピッチャーは苦労するのですが、野村はそれができていました」
1年生の時には4年に岩田慎司(現・中日)と江柄子裕樹(現・巨人)がいた。野村が頭角を現し始めたのは1年生の秋。先発として投げ始め、シーズン防御率0.00を達成。そして2年生の春、エースナンバーの背番号11番をつけることになる。
「本当なら3、4年生がつけるエースナンバーを実力で勝ち取りました。しかし、その後は優勝しても胴上げ投手になれなかったり、ここという時に勝てないことがありました。最後の最後、4年の秋に30勝300奪三振を達成して優勝、神宮大会決勝の愛知学院大学戦に完封で勝ち、初めて日本一になりました」
野村は広陵高校3年生の時、小林誠司(現・巨人)とバッテリーを組み夏の甲子園に出場。決勝の佐賀北戦で7回まで被安打1に抑えながら、8回に逆転満塁本塁打を打たれ、準優勝に終わっている。当時、審判の微妙な判定も話題になった。