引退の三浦大輔が激白 プロ生活の支えとなったこと、横浜に残したいモノ
引き際を自分で決められることの幸せ
――でも名残惜しいですね。
「そりゃずっとやっていたいよ。ただ、やっぱり1軍で勝たないといけないですから。ただ投げるためにマウンドに上がっているわけじゃないから。勝つためにマウンドに上がっているし、今年勝てなかった。もう1回投げるけど、今年勝てなかったから。もう1回チャンスがあるから1個勝って終われればベストだけどね。わかんないよ。こればっかりは」
――さみしいですけど引退試合ができる選手って限られていますよね。
「俺もそれを考えていて、ほとんどの選手が自分から辞めるって言えない。自分で辞められる、引き際を決められるってのは幸せだなって。球団にもう1年やらしてくださいってお願したらもしかしたらやらせてもらえたかもしれないけど、でもそれじゃ“三浦大輔そんなんでいいの?”って思ってしまうから駄目だろうって。そんなところは甘えたらいけない。けじめとして勝てなかったら辞めるってずっと決めてたし」
――剃りこみの入った頭と細眉で奈良から出てきて。ドラフト6位で入団して、何がここまで番長を支えてきたと思いますか?
「野球が好きで、もっとうまくなりたい。1軍に上がりたい。勝ちたい。いい車に乗りたい。年俸を上げたい。いい家を建てたい……。欲の塊かな。プロに入って先輩をみて、『俺もああいう車乗れるようになりたいな。俺もこんな家を建てられるような選手になりたいな』って思ってやってきた。もちろん辛い時もあったし勝てない時もあった。でもそういう時はファンの方が背中を押してくれたり、励ましてくれたりしたからここまで来られたのかなって」
――全部叶いましたね。
「そうね。もう1回優勝したいっていう夢は叶わなかったけど、98年に1回優勝を経験させてもらったから」
――野球が好きでもっとうまくなりたかった?
「小谷コーチとの出会いも大きかったですね。入ったころ怖かったかなぁ。そんなにいろいろ言われることもなく、かといって怒鳴られることもなく。野球のピッチングフォームはもちろんそうだけど、人としてもいろんなことを教えてもらった。社会人として。高校卒業してすぐ、何にも知らずに奈良からでてきたので。野球以外にも勉強させてもらいました。
寮生活の時は、門限を破って遊びにいったりした時期もあったけどそれは最初だけ。やっぱり1軍はいいなって思った。1年目の秋に1軍に上げてもらった時に“え、1軍ってこんなに!?”って。ホテルの部屋も1人だし、移動はグリーン車。それでお客さんがいっぱいいる中でプレーできる。あのマウンドに上がりたい。俺も投げたいなって思って。それからは、練習するしかないなって。もちろん息抜きはしたけど、1軍を経験してからは初めの頃のように遊びたいと思わなくなった。遊ぶ時は遊ぶ。やる時はやるって決めてやってきました」