158キロドラ1右腕を襲った突然の悪夢 2度の戦力外も野球続ける理由とは
ソフトバンクで支えてくれた存在、現実と向き合った右腕が描く夢
ソフトバンクでの出会いも大きかった。キャッチボールすらままならず、途中で投げ出しそうになる北方に愛情を持って厳しく接してくれたのが、入来祐作3軍投手コーチ(現2軍投手コーチ)だった。
「入来さんがいつも気にしてくれた。用具係をなさっていたDeNA時代も一緒だったんです。僕が投げ出しそうな時は、たまに怒ってくれたこともありました」
かねてから憧れていた1つ年上の千賀滉大との出会いもあった。「年が近くて喋りやすかった」という千賀には、食事に誘ってもらったり、グラウンドで会話を重ねるうちに「見る目」を教えてもらったという。
「どんな投げ方をしているんだろう、とか、他の投手をじっくり観察するようになりました。トレーニングにしても、当時は松坂(大輔)さん、たまに五十嵐(亮太)さんもいらっしゃって、見ているだけで勉強になりました」
家族だけではなく、アドバイスや叱咤をくれる先輩の支えも無にできない。改めて、イップスという現実、戦力外通告された現実と向き合うことにした。
まず、取り組んだのは「自分自身と向き合う作業」だ。イップスになったのは誰のせいでもない。「自分の失敗だったんです」。サッパリとした表情で、そう言い切る。
「いろいろな方が、1軍で投げられるように、よくなってくれ、と思ってアドバイスをくれた。その意見を僕が上手く捉えきれず、噛み砕けなかったからなんです」
焦らず急がず。キャッチボールができる状態を取り戻すまで、嫌になることもあった。「嫌になった時は、そこでやめて、また次の日って感じ」で、少しずつ少しずつ積み重ねた。100キロちょっとしかでなくなった球速も徐々に戻り、140キロ台も計測するようになった。まだ怖さを抱えながらも、思った場所に制球できるようになってきた。努力は人を裏切らない。少しずつ成果が現れた。
昨年11月、再び12球団合同トライアウトに参加したが、NPBとの契約は勝ち取れず。BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスに入団することになった。NPB所属選手だった当時は「自分が独立リーグでプレーすることはないだろう」と思っていたが、今は立場が違う。目標は、再びNPB球団と契約し、大観衆で埋め尽くされた1軍のマウンドに立つことだ。
「キラキラした世界で投げたいです。小さい頃からプロ野球選手になることが夢だった。あのキラキラした舞台に立ちたいです」