「負けた気がしない」の思い残した聖地へ 恩師、友人が語る岸孝之の素顔
「守備機会は1回あるかないか。そんな緊迫した1球に耐えられなかった」
3日後、名取北高は第3シードの仙台二高と2回戦を戦った。宮城県内上空には台風の雲がかかり、4回くらいから雨中のゲームになった。名取北高は5回に1点を先制したが6回、外野手が3失策するなどして4点を失った。佐藤さんが振り返る。
「当時、宮城の中で岸くんは有名になっていました。僕らは『岸がいるから負けられない』と思うようになった。岸くんに力があるのに、僕らがミスすることで岸くんに悪いなとか、みんな、そんな思いを抱えながらやっていたと思います。1試合に10何個も三振を奪う。そうすると守備機会は1回あるかないか。そんな緊迫した1球に耐えられなかったですね。1年間、そんな思いとの戦いでした」
仙台二高の小川弘朗投手も評判が高く、好投手同士の一戦だった。1球への緊張感はいつもより増していた。
雨脚は強まり、試合は一時、中断した。当時の野球部長から田野さんは「諦めな。雨は止まないよ」と言われた。でも……、と諦めはつかなかった。中断して20分ほど経った時、大会運営の先生が一輪車で砂を運び始めた。田野さんは「このゲーム、途中で終わらせられねぇべ」という言葉をかけられ、「泣きそうになったね」。砂を入れ、ゲームは再開されたが、名取北高は2-4で敗れた。岸が打たれた安打はわずかに3本。それも田んぼ状態のグラウンドで勢いを失ったボテボテのゴロや、転がらなかった内野安打だった。
宮城では甲子園をかけた戦いが続いていた。岸が高校野球を引退して4日後。今でも語り草になっている一戦があった。4回戦の仙台育英-東北。3連覇中の仙台育英高と全国屈指の左腕・高井雄平の対決とあって、会場となった名取市の愛島球場には観客が大挙して押し寄せた。球場へのアクセスは公共交通機関を使うことが難しく、道路は1本道。宮城県高野連も最善の手は尽くしていたものの、周辺では大渋滞が起き、第2試合を戦うチームも球場に遅れて到着するほどだった。この渋滞に巻き込まれていたのが、東北学院大の監督だった菅井さん。「これはダメだ」と愛島球場に行くのは諦め、予定を変更。名取北高に向かった。菅井さんが話す。
「息子との対戦がなければ、多分、岸を見ていないんですよ。当時、岸の噂はありました。大学のスカウトもプロのスカウトも球場にいましたが、『線が細いな』というような評価。でも、投げる姿がよかった。色白で、普通はもやしみたいと表現するんでしょうけど、エノキの小さいの、という感じ(笑)。ただ、フォームはよかったし、フィールディングも抜群によかったですね。あの試合を見ていなければ、岸を誘うことはなかったと思うので、やっぱり、出会いですね」