「負けた気がしない」の思い残した聖地へ 恩師、友人が語る岸孝之の素顔

高校野球の最後に岸が綴った言葉、「何か1つでも要素が抜けていたら…」

 ちなみに、岸が高校3年の夏、宮城を制したのは同学年の高校ナンバーワン左腕・高井擁する東北高ではなかった。

 4強には春に続いて公立勢が進出し、「僕らが高校3年の夏、宮城では仙台西高が甲子園に行ったんです。僕はその時に初めて、甲子園って行けるんだって思いました」と佐藤さん。この年の4月3日、名取北高は仙台西高と練習試合をし、1-3で惜敗している。終盤のエラーで失点したが、競ったゲームだった。夏に初の甲子園出場を果たすことになるチームから岸は16三振を奪っていた。また、夏の宮城大会で準優勝することになる柴田高とは春の地区大会で対戦。延長12回の末、2-3で敗れたのだが、岸はやはり18奪三振と好投した。そうした結果から佐藤さんは「きっと、岸くんは僕らよりも悔しかったのではないかと思いますね」とおもんぱかった。

 アマチュア時代、岸は何度も野球を辞めそうになりながらも思いとどまってきた。そして、気の合う仲間と日々を過ごし、試合で勝ったり負けたりする中で、希望枠でプロ入りするまでの選手に成長していった。「何か1つでも要素が抜けていたら、今の岸はないわけですから」と田野さん。高校1年の春に退部を考えていたことは何年も後になってから知った。

 すべてはこんにちに続く道。プロでは10年で7度の2桁勝利をマーク。通算勝利を103勝に積み上げた。そして、FA権を行使し、球界を代表する右腕として故郷に帰ってくる。

 岸は田んぼ状態のグラウンドで高校野球を終えた。そのグラウンドこそが、当時の宮城球場。今、楽天が本拠地としている球場だ。後にも先にもこの時だけだそうだが、田野さんはこのチームに作文を書かせている。岸は「負けた気がしない」と書いた。そんな高校野球の終わり方をした岸が時を経て、再び、宮城の野球の聖地に戻ってくる。高校野球を終えた日、名取北高のグラウンドにかかっていたあの虹は、15年後につながっていたのかもしれない。

【了】

高橋昌江●文 text by Masae Takahashi

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