元ロッテ胴上げ投手が踏み出した第二の人生…栄光と苦しみの中で学んだこと

今オフに戦力外「マウンドでの姿をもう一度だけ見せたい」とトライアウト受験

 しかし、その後の伊藤は怪我との戦いだった。2011年9月1日のファイターズ戦で打者の折れたバットが左すね内側を直撃し突き刺さるという不運で戦線を離脱すると、2012年に肩や腰。2013年に肩と肘。2015年オフに右ひじ骨棘除去術で全治6か月など、満身創痍の日々が続いた。

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元ロッテの伊藤義弘【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

「今思うと、バットの破片が左足に当たって怪我をしたことで、すべてが狂いましたね。下半身はそれくらい大事だということ。あれから体のバランスが悪くなった。結果、体のいろいろなところが狂いだして怪我が多くなった。人間の体は本当に不思議だし、難しい」

 長いリハビリを経て今季、ファームで7試合に登板をした。6回1/3を投げて防御率4.26。だが、残念ながらシーズン後、戦力構想から外れた。それは伊藤本人も覚悟をしていたことだった。プロ野球人生の後半は孤独なリハビリ生活が中心。その中での支えは妻であり、6歳の長男、5歳の長女、2歳の次男の子供たち、家族の存在だった。

 マウンドでの姿をもう一度だけ見せたい。だから、あえてトライアウトで投げることを選んだ。妻からも「最後に投げるところを見てみたい」と言われた。みんなの想いを乗せて、トライアウト会場である甲子園に向かった。

 スタンドには3人の子供と妻。両親、親戚、高校、大学のチームメートの姿もあった。後藤光尊(元楽天)をインコースのストレートで右飛。青松慶侑(元ロッテ)をインコースのシュートで遊ゴロ。最後、内村賢介(元横浜)には真ん中シュートを右安打されたが、楽しい対戦だった。

「後藤選手、内村選手はこれまで何度も対戦をした。青松はチームメート。だからお互い手の内はよく分かっている。その中でどのように配球をして抑えるかがプロ。最後まで探り合いながら、頭を駆使して戦えた。だから、とても楽しかったです」

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