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俊足巧打の選手が多数 非常に貴重な「スイッチヒッター」という存在

「黄金時代の名脇役」と称された名手

【平野謙氏】
〇通算成績
1683試合5676打数1551安打53本塁打479打点、打率.273

〇年度別、対左右打率
1981年 対左打率.161 対右打率.266
1982年 対左打率.342 対右打率.277
1983年 対左打率.266 対右打率.242
1984年 対左打率.330 対右打率.280
1985年 対左打率.319 対右打率.294
1986年 対左打率.277 対右打率.268
1987年 対左打率.333 対右打率.257
1988年 対左打率.287 対右打率.308
1989年 対左打率.253 対右打率.273
1990年 対左打率.239 対右打率.277
1991年 対左打率.292 対右打率.278
1992年 対左打率.291 対右打率.277
1993年 対左打率.229 対右打率.243
1994年 対左打率.229 対右打率.227
1995年 対左打率.257 対右打率.212
1996年 対左打率.250 対右打率.308

 平野氏は、1977年にドラフト外で中日に入団し、1987年のオフに西武に移籍。森監督のもと西武の第2次黄金時代を支え、中日時代も含め3度の日本一と4度のリーグ優勝を経験。「黄金時代の名脇役」と呼ばれ、通算犠打数は両リーグ歴代2位の記録となる451本。ゴールデングラブ賞を9度も受賞するなど、外野守備の名手としても知られている。

 左右投手別の打率を見てみると、1987年までは、やや右投手を苦手としていたようだが、1988年からの3年間はそれが逆転しており、1991年と1992年は左右どちらも高い打率で安定している。やはり、どちらの投手を相手にしても“苦にしない”ということがスイッチヒッターとして成功する一つのポイントとなるのだろう。

【西村徳文氏】
〇通算記録
1433試合4777打数1298安打33本塁打326打点、打率.272

〇年度別、対左右打率
1983年 対左打率.313 対右打率.235
1984年 対左打率.364 対右打率.278
1985年 対左打率.275 対右打率.317
1986年 対左打率.333 対右打率.269
1987年 対左打率.206 対右打率.291
1988年 対左打率.291 対右打率.270
1989年 対左打率.255 対右打率.290
1990年 対左打率.401 対右打率.309
1991年 対左打率.296 対右打率.268
1992年 対左打率.186 対右打率.227
1993年 対左打率.243 対右打率.252
1994年 対左打率.327 対右打率.167
1995年 対左打率.154 対右打率.234
1996年 対左打率.000 対右打率.087
1997年 対左打率.000

 西村氏は1981年のドラフト5位でロッテに入団し、指導者時代も含めてその後30年以上に渡ってロッテ一筋を貫いた。俊足を生かすため、プロ入り後にスイッチヒッターに転向。1990年には打率.338をマークし、スイッチヒッターとしてはパ・リーグ史上初となる首位打者に輝く。同年、中堅手としてゴールデングラブ賞を受賞。2011年までは、内外野で同賞を獲得した唯一の選手だった。

 その後、コーチを経て2010年に千葉ロッテの監督に就任。レギュラーシーズンは3位の成績だったが、ポストシーズンで下克上を果たして1年目からいきなり日本シリーズを制覇。この結果が認められ、見事、正力松太郎賞を受賞した。昨季はオリックスの1軍ヘッドコーチとして福良監督を支えるなど、選手としてもコーチとしてもチームに必要とされる存在として活躍している。

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