野球人生変えた「怪物」への憧れ 中日ドラ1右腕が横浜高を選んだ理由
甲子園3季連続出場、地獄の猛練習「どう乗り切ったか覚えてない」
今まで野球を辞めようと思ったことは「一度もない」。しかし、横浜高の練習は本当にきつかったと、当時を振り返る。
「全部きつかったです。また明日もあの練習をやるのかと思うと、本当に辛かった。どうやって乗り切ったかも覚えてないんですよ。必死で、夢中にやっていたんだと思います」
2年の春夏、3年の春の選抜と甲子園に3季連続で出場。だが、最後の夏は当時2年のエース・松井裕樹(現楽天)を擁する桐光学園に神奈川大会準々決勝で敗れ、聖地の土は踏めなかった。
高校から直接、プロ入りした松井に対しては「活躍していてすごいな、頑張っていてすごいな、と思っていました。特にライバル意識はありません」と冷静に話す。自身は、高校卒業時点での実力ではプロで通用しないと悟っていた。
「高校3年の自分の力じゃ、プロでは活躍できないことはわかっていました。球威、コントロール、全部ダメです。大学に行って鍛え直し、4年後、プロを目指そうと思っていました」
4年後のプロ入りを期し、通算117勝の中日・川上憲伸、昨季最多勝の広島・野村祐輔ら多くのプロ野球選手を輩出し、日大三で甲子園Vメンバーだった高山俊(現阪神)ら好選手が在籍していた東京六大学の名門・明大に進学する。
「やるからには一番レベルが高いところでやろうと思っていました。明治の環境、伝統、そういうものに惹かれました」