「自分らしく」全力疾走のロッテ荻野貴司 新背番号「0」に込めた思い
背番号は「4」から「0」へ…「怪我『0』を目指したい」
最近で忘れられないのは2013年。自己最多の102試合に出場して打率.275、チーム最多の26盗塁と機動力で大きく貢献した年だ。激しい上位争いを繰り広げる中で迎えた9月30日の日本ハム戦(現ZOZOマリン)だった。延長10回に先頭として四球で出塁すると、その後、一、三塁とチャンスが広がり、福浦和也内野手の左翼への浅い飛球にホームに飛び込んだ。まさに、その足でもぎとったサヨナラ犠飛。しかし、その前の走塁で、足に違和感があった。それでも三塁に到達した荻野は、痛みを訴えることなく、そのまま出場を続けると浅い当たりに果敢に突っ込んで勝利をもぎとっていた。
翌10月1日に行われた診断結果は右大腿(だいたい)二頭筋肉離れ。全治まで3週間以上。チームは仙台でイーグルスとのCSファイナルステージまで勝ち進んだが、自身はテレビ観戦をせざるを得なかった。
「怪我ばかりですね。ただ足は自分の持ち味。全力で走った結果の事に後悔はしない」
この日の荻野も全力だった。子供たちと積極的にたわむれた。鉄棒では逆上がりを披露し、登り棒にも上り、子供たちを喜ばせた。沢山の質問に丁寧に答え、楽しい時間を過ごした。そして、この日は社会人のトヨタ時代から付けていた背番号「4」とのお別れの日でもあった。
「楽しいことも辛いこともありました。この番号には慣れ親しんでいたし、好きだったけど、心機一転やることにしました。やっぱり怪我『0』を目指したい。そして『0』からの再スタートの気持ちで、この番号をいただきました」
小学校訪問を終え、ZOZOマリンスタジアムのロッカーに戻ってきた荻野は少ししんみりとした表情を浮かべた。ただ背番号は変わっても、「自分らしく」のスタイルは変わらない。これからも全力で駆け抜ける。荻野はマリーンズの勝利のために、新たな背番号を背に、また新たなスタートを切った。
(記事提供:パ・リーグ インサイト)
【了】
マリーンズ球団広報 梶原紀章●文 text by Noriaki Kajiwara