復活へもがく松坂大輔、中学時代の恩師が秘める思い「悪くていい」
中学時代は肘の酷使に注意、「すべての試合4回で交代させた」
ただ、実戦では無敵の強さを誇った。2年秋の関東大会で優勝、3年の春の大会で3位、夏の大会も優勝。あまりに勝ちすぎていたため、大枝さんは松坂にプレッシャーをかけて、わざと負けさせたこともあったほどだ。
「少し勝ちすぎでしたね。3季連続の優勝は難しいと思いました。3年の夏の大会で優勝させたかったので、春の大会はわざと負けさせました。その悔しさで、夏に優勝できたと思います。春の大会は背番号もエースの1ではなく21。1番は最後の夏まで与えませんでした」
大枝さんは、自身がケガで野球を諦めた経験から、子供たちを指導する上で特に気を付けていることがあるという。それは「無理をさせない」ということだ。中学生は「高校、大学で活躍するための通過点に過ぎない」と考えている。
「大会でも、投げさせないように気を使っています。松坂も優勝した関東大会では4試合に先発させましたが、季節が秋から冬に向かい寒くなる季節、肩や肘を大切にしてあげたいという気持ちから、すべての試合4回で交代させました。準決勝で『肘が痛い』と言っていたので、決勝は投げさせませんでした」
横浜高時代の夏の甲子園準々決勝でPL学園を相手に延長17回、250球を一人で投げ切るなど、高校で見せたタフな一面の裏には、中学時代に肩を酷使していなかったことも影響していたのかもしれない。