「自分達が元気でいれば」 仙台育英、選抜に挑む「6年目の春」に伝えたい事
震災翌日に双葉町に遠征予定だった西巻主将「1日ずれていたら……」
「You Tubeで『緊急地震速報が出ました』という津波が発生する前から流れているニュース映像を見ています。振り返るというわけではないですが、忘れないように。改めて思い返すようにするために見ています。名取川付近では田んぼや畑を津波が飲み込んでいって、どんどん黒い水が押し寄せて、火災も起きて。走っていた車も飲み込まれて……、運転していた人もさっきまで生きていたのに、その瞬間に命を落として……」
福島県会津若松市出身。小金井小5年だった西巻主将は学校で強い揺れを感じた。この日は金曜日で、翌日はこのシーズン初の試合に出かけることになっていた。場所は福島県楢葉町。福島第一原発から20キロ圏内にある町だ。
「自分も1日ずれていたら津波や原発事故でどうなっていたかわからないので。今、こうして普通に生活ができていて、当たり前の生活ができる有り難さを改めて感じました」
西巻は会津若松市からいわき市に通い、小名浜少年野球教室でプレーしていた。この時もチームメイトである中堅手兼投手の佐川もこう話す。
「自分は高校に入ってから3.11の夜、福島県の方を向いて目をつむるようにしています。やっぱり、昨日のことのように思い出しますね。(いわき市の)自分の家の近くに小名浜港があるのですが、震災後、1か月くらい栃木や新潟に避難して帰って来た時、おじいちゃんが車で海沿いに連れて行ってくれました。見慣れた景色がなくなっていて、こんな風になっちゃうんだと感じましたね。
震災後、少年野球チームの練習場所が使えなくなったのですが、地域の人たちが練習場所を見つけてくれて野球ができました。そのお陰で今も野球ができています。地元では友達もまだ仮設住宅にいたり、宮城県も出身の福島県も避難したりしている人たちがいる。自分たちが元気にやっていれば、みんなも元気になれると思うので、元気にやっている姿を声や表情で伝えたいです」