アレックスとマニー 2人の“ラミレス”の運命を分けた日米の野球観の違い

インディアンスでチームメイトだった2人、その後の人生は大きく変わる

 アレックス・ラミレスは、1993年にクリーブランド・インディアンス傘下のルーキーリーグでキャリアをスタートさせた。6年かけて這い上がり、1998年9月19日のカンザスシティ・ロイヤルス戦に途中出場。23歳で迎えたメジャーデビュー戦に「4番・右翼」で先発出場していたのがマニーだった。この時は26歳だったが、すでにメジャー6年目のキャリアを誇り、この年には45本塁打を放つなどリーグ屈指の強打者になっている。

 アレックスは以後2年、マイナーと行き来しながら控え外野手や代打として出場。2000年7月にピッツバーグ・パイレーツにトレードされ、FAとなったそのオフに日本の東京ヤクルト・スワローズへ移籍した。

 一方、マニーは1999年には44本塁打、165打点という驚異的な数字を記録し、その後はボストン・レッドソックス、ロサンゼルス・ドジャースなどで活躍。メジャー通算555本塁打を打つ大打者になった。

 当時のアレックスにとって、マニーは仰ぎ見るような存在だったに違いない。

 2人には「右打ちの外野手、守備があまり得意ではなく、打撃専門」という共通点がある。

 しかし、決定的に違っているのは「出塁率」、そして出塁率から打率を引いた数値「IsoD(四死球による出塁率)」だ。打者の選球眼を量る指標で、一般に0.100を超えると優秀だと言われる。2人の成績を比べてみると、アレックスのメジャー通算出塁率は.293(打率.259)、IsoDは.034、マニーは出塁率.411(打率.312)、IsoDは.099。IsoD、つまり選球眼の良さでは、実に3倍の差がついている。

 MLBでは、セイバーメトリクスという新しい記録の概念が浸透している。セイバーメトリクスでは「安打と四球は同じ価値」だと考え、安打を打つだけでなく、四球を選ぶ打者、選球眼の良い打者を高く評価する。マニーは強打者であるだけでなく、抜群の選球眼を誇り、強打者としてMLBに君臨した。しかし、アレックスは早打ちで四球が少なかったために評価されることなく、MLBを去ったのだ。

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