2度目の夏切符目指した埼玉“公立の雄”16強で散る 誓う捲土重来

河西監督「やはりうちのカラーは強力打線。必ず復活させたい」

 2、3回はともに内野手の失策から失点し追い付かれた。7回だ。1年生の夏から背番号1を付けてきたエース右腕の菅原隆史(3年)が痛打される。投球数が100球を超えたあたりだ。2死二塁から中前打と左中間三塁打で痛恨の2失点。河西監督は、90年の第72回全国選手権に2年生で2番・二塁手として出場。大宮東としても春夏通じて初の甲子園だった。1学年先輩には近鉄のリーグ優勝を決める、代打逆転サヨナラ満塁本塁打で時の人になった北川博敏がいた。

 2011年春、母校に着任すると13年秋に監督に就任。大宮東の魂を注入することに心血を注いだ。低迷期もあったが、14年夏と昨夏に4強入りと名門復活の鼓動が聞こえてきた。ここ数年、埼玉の甲子園代表校は花咲徳栄や浦和学院、春日部共栄といった私学勢の寡占状態が長らく続くだけに、公立の雄として今夏は『我慢の夏』をテーマに2度目の甲子園を目指していた。

「大宮東が魂を燃やし私学と戦っている姿に感動してここを選んだ」という主将の緒方康貴(3年)は、悔しさを抑えながら「2番手は好投手だったけど、自分たちが未完成だから負けた。あと1本、あと少し足りなかった」と声を絞り出した。

 かの長嶋茂雄は佐倉一高時代、県営大宮公園球場で特大本塁打を放った。強打で鳴らした往時の大宮東もこの球場で本塁打を打ちまくった。高校生だった河西監督の目にはこの光景が焼きついている。「基本は総合的な守備ですが、やはりうちのカラーは強力打線。必ず復活させたい」と捲土重来を口にした。

(河野正 / Tadashi Kawano)

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