初8強ふじみ野、敗退も実り多き夏 転勤した恩師の前で奮闘「感謝の気持ちで」
人事異動で転勤した恩師への思いは今も…「野球人生で一番必要な人」
ところがその恩人がこの春、人事異動で川越西へ転勤してしまった。後任の和泉監督は軟式野球部の監督歴はあるものの、硬式野球部で指揮を執るのは初体験。「うちは山崎先生あってのチーム。先生が育てたチームだけに力はあったので、戦力を維持するのに精いっぱいでした」と新米監督は謙虚だった。
0-9と圧倒されていた7回、先頭の森竣亮(3年)が四球で出塁すると、小学校1年から森と同じチームでプレーしてきた高野将生(3年)も四球で続いた。1死後に広川幸太朗(3年)が中前打を放って、森が1点を返す意地のホームベースを踏んだ。
誇らしげなガッツポーズ。森が「山崎先生は自分の野球人生で一番必要な人でした。礼儀やマナー、社会に出て役に立つことを教わった」と言えば、高野も「山崎監督のためにしっかり結果を出したかった。先生への感謝の気持ちを持って戦った」と恩師を敬慕した。
ふじみ野の夏は終わった。しかし、野球部に新たな歴史を刻んだ実り多き夏ではなかったか。
スタンドで愛弟子を見守った山崎さんは、「ベスト8なら頑張ったと思うが、もっとやれたとも思います。1、2年生は人に頼らず、自らチームを引っ張る心意気で取り組んでほしい。大切なのは自立。それがなければ成長しません」と愛情たっぷりのエールを送った。
(河野正 / Tadashi Kawano)