107号清宮に1号を打たれた男の今― 消防士目指す19歳「いつかまた対戦を」
甲子園4強も野球を引退した理由とは? 「高校野球は親への恩返しのつもりだった」
試合は18-11で関東第一が勝利。エースとして挑んだ夏も東東京大会を勝ち抜き、西東京の早実とともに甲子園に出場した。そして、清宮がホームランを放ち、熱狂を呼んだ聖地でも4強に入った。
「開会式の時に待機の列が隣だったので、清宮と話したんです。『あの時、何打ってくれてんねん』って言ったら『田辺さんに2打席、抑えられちゃったから、ちょっと本気出しちゃいました』と笑っていた。かわいげがあって、いい子だなと。それで『またホームラン打てよ』と言ったら、本当に打ってくれたんです」
高校球児として、これ以上ないほどの成績を残した。しかし、田辺は高校生活で野球の第一線を退いた。
「自分、母子家庭なので。高校に入れてもらう時も(私立は)金銭的に厳しくて。高校野球をやってきたのも、親への恩返しのつもりでした。それも甲子園でベスト4までいくことができて、果たせたのかなって。心の中では、やりたい気持ちはあった。でも、区切りをつけ、就職を考えようと」
安定した公務員を目指そうと、消防士を志した。大学などで野球を続けるチームメートと別れ、卒業と同時に専門学校に入学。資格試験をはじめ、今いる場所で忙しい毎日を送っている。
「今年が就活の年。自衛隊から内定をもらうことことはできました。これから消防士の試験も控えている。勉強もあるので、なかなか大変ですけど」
ただ、野球と縁を切ることはできなかった。友人の誘いで野球チームに参加し、マウンドに上がる。そして、驚きの“進化”を見せているという。
「将来のために体だけは鍛えていたけど、肩は休ませていたので、最速が149キロ出たんです。高校時代は141~2キロ。体重も78キロだったのが、88キロになって。自分でもびっくりでしたね」
一方、清宮も驚くべき成長を遂げていた。1年夏にU-18W杯のメンバー入り。2年秋から主将となり、3年春にセンバツに出場した。ドラフト目玉候補として騒がれ、一挙手一投足がメディアに注目される中、ホームランを量産。そして、今月28日の八王子学園八王子戦、130メートル弾から2年3か月をかけ、怪物は高校野球史に名を刻む一発を放った。
1人で複数打たれた場合を含めても、清宮に被弾した投手は延べ107人。誰よりも早く、その恐ろしさを体験していた。友人から「田辺から始まって、ここまで来たね」と連絡も届いた。“第一人者”になったことを今、どう思っているのか。