「松井秀喜との対戦は面白かった」 名手たちが脳裏に刻む「名勝負」の記憶
「佐々木さんのフォークは反則」「松井秀喜との対戦は面白かった」
「クセ者」と呼ばれ、強豪・巨人に欠かせない選手であった元木大介氏(*3)は当時の対戦に想いを馳せた。
「中日が嫌だった。チーム自体として本当に強かった。常に優勝争いをしたような気がする。投手では“大魔神”佐々木さん(主浩・元横浜)が打てなかった。あのフォークボールは反則ですよ(笑)」
「僕のプロ野球人生はやっぱりここ。巨人が好きで入団したわけだから、ここでプレーすることに憧れみたいなものもあったね。引退も比較的早かったけど、ここの雰囲気は今でも忘れないね」
現在でもカープ歴代屈指の名捕手として名高い西山秀二氏(※4)は「ID野球」の凄みを思い出していた。
「ヤクルトがしつこかった。ノムさん(野村克也氏)の戦術が徹底しているし、ちょっと配球が偏ると攻め込まれた。常に読まれていたので、気にしなくてはならなかった。あとは純粋に松井秀喜(元巨人、ヤンキース)とかは対戦して面白かった。天才的な打者より配球を読んで来る打者が対戦して面白い。松井なんて一球ごとにそうだった」
「選手生活の晩年は巨人で過ごした。ここを本拠地とするとは、最初は夢にも思わなかった。でも(広島)市民球場を知っているから、施設とか、本当に感動した」
先発、リリーフの両方で80年代から90年代の常勝カープを支えて来た大野豊氏(※5)も感覚的に後楽園は好きな球場の一つだったという。
「印象に残っているのは原君(辰徳)かな。彼の引退試合(95年10月8日)でも投げさせてもらったし、彼がファールを打って手首を骨折した(86年9月24日)のもここ(=後楽園)だったよね。あれは衝撃的だった。うちの投手は津田(恒実=享年32歳、60~93年)だったというのも本当に印象深い」
「僕の投球フォームは、一瞬、上を向いて投げるような感じ。だから傾斜が比較的高いここのマウンドは向いていたようなイメージがある。変化球もよく決まったしね。(広島)市民球場の次くらいに印象が残っているかもしれない」
身体がちぎれるくらいの「フルスイング」が代名詞。「いてまえ打線」と言えば、中村紀洋氏(※6)だ。
「松坂大輔(ソフトバンク)との対戦は楽しかった。あとは黒木(知宏)や清水直行とかのロッテ勢。単純に勝負ができたというかね。打てた時は本当にうれしかったし、抑えられたら悔しかった。そういう投手と巡り会えて良かった」
「当時はファイターズもここを本拠地としていたのでよくやった記憶がある。どこまでも飛ぶような場外本塁打も良いけど、ここで看板に当てる大きな打球を打撃練習とかで飛ばすのも楽しかったね」