21年間の現役生活に幕 井口資仁の偉大な野球人生を振り返る
引退試合は伝説に残る一戦に
8月27日、かつての本拠地・ヤフオクドーム最終戦に、「4番・指名打者」として先発出場。第1打席から、元チームメイトの和田の直球を左中間に運ぶ。この試合で和田は記念すべき通算1500奪三振を達成したが、その節目の三振を献上したのは、奇しくも先輩にあたる井口だった。最後の打席で中飛に倒れた後は、すれ違いざまに和田のお尻をぽんと叩いて、笑顔を見せる。福岡ダイエーを投打でけん引した両雄の競演は、記憶にも記録に残るワンシーンとなった。
引退試合が催されたのは、9月24日の北海道日本ハム戦。井口は、「6番・指名打者」でスタメン入りした。第1打席で早速左前打を放つと、2点を追う9回裏、無死一塁の場面で、北海道日本ハムの守護神・増井の直球を捉えた。打球は、千葉ロッテファンで埋め尽くされた右中間の最も深いところに飛び込み、劇的な同点2ランとなる。
同点で迎えた延長12回裏には、キャプテン・鈴木が値千金のサヨナラ打。若手選手の頼もしい粘りでチームは勝利を収め、井口の引退試合に花を添えた。真剣勝負の緊迫感の中で、このような劇的な展開を繰り広げる「野球」というものの恐ろしさ、素晴らしさが大いに詰まった、伝説に残る一戦となったと言えるだろう。
これでまた1人、日本球界を沸かせたスターが、現役生活に終止符を打った。「選手」井口資仁を、グラウンドで見ることはもう二度とできない。思えば日本球界も、彼が野球人生をスタートさせた頃とは大きく変わった。福岡ダイエーホークスという球団はもう存在せず、あのチームの強さを支えた選手のほとんどがユニホームを脱いでいる。
この過酷な世界を生き抜いていくことは想像を絶する苦難をともない、選手が試合に出ていること、健康体でいること、また次の年も、その次の年も、同じユニホームを着る未来を選び続けること、それらは全て、選手自身にとってもファンにとっても、決して「当たり前のこと」などではないのだろう。
引き際というものを自分で決められる選手は一握りだ。井口は、盛大な引退試合で送り出され、また新たな人生の第一歩を踏み出す。ファンに、所属したチームに、チームメイトに、日本球界そのものに、それだけ大いなる功績を残した。もう見ることのできない偉大な背中とその足跡を反すうしつつ、井口の今後ますますの活躍を祈念したい。