史上2人目の10年連続50試合登板 日ハム宮西、“鉄腕“誕生秘話(後編)
吉井コーチに「技術と野球の頭の部分」、厚沢コーチと合致した「感覚とイメージ」
日本ハムの宮西尚生投手が、NPB史上2人目となる10年連続50試合登板を達成した。その鉄腕にまつわる秘話後編をお届けする。
07年の大学生・社会人ドラフト3巡目で入団した宮西は、1年目のキャンプ初日にリリーフしての資質を認められ、リリーフとして育てられた。当時の吉井理人投手コーチ、厚沢和幸投手コーチとの出会いが、宮西の野球人生において大きなポイントになった。宮西は自身の成長過程はこう語る。
「吉井さんには技術的なことやシチュエーションといった野球の頭の部分を教えてもらいました。アツさん(厚沢コーチ)は感覚を大事にする人で、それを人に伝えるのがうまい。吉井さんに教えてもらったことを、体に染み込ませてくれるのはアツさん。心の部分は、経験でやりくりして強くなりました」
日米7球団でプレーして豊富な経験を持つ吉井コーチが理論を叩き込み、下積みが長く観察眼に優れた厚沢コーチは同じ左腕としてそれを実行するための手助けをした。左腕には左腕同士にしか分からない感覚的な部分があると宮西は言う。その感覚やイメージが厚沢コーチと合致したため、成長が早かったのだ。
「例えば、スライダーを下から上に切れという言い方をされたりします。右の人には通じないみたいですけど、自分とアツさんは感覚的な人間同士、そういうイメージをすり合わせていきました。修正能力もアツさんのおかげです。自分はリストを効かせるタイプで、悪い時にはひっかけてしまうことがあったのですが、そんな時はセカンド牽制やサード牽制をしました。腕をしならせるのに、いいんじゃないかということで。人とは違うトレーニング、方法でやっていましたね」