クレメンテ、フランコ、平井… 清宮が背負う背番号「21」の歴史
ロッテではフリオ・フランコ氏が背番号21を背負っていた
日本ハムで投手のイメージが強い番号をつけた野手といえば、大島康徳氏がいる。中日時代に本塁打王を獲得するなど中軸として活躍した大島氏は1988年、日本ハムに移籍。後にダルビッシュ有投手、大谷翔平投手に受け継がれる背番号11をつけ、開幕から4番を任されて打線を引っ張った。1990年に通算2000安打を達成。晩年は代打の切り札としてその存在感を発揮した。
ロッテも以前、背番号21を野手がつけた時期があった。1995年に入団したフリオ・フランコ氏。レンジャーズ時代の1991年に首位打者を獲得し、現役バリバリのメジャーリーガーとして話題を呼んだ。シーズンに入ると主に4番を任され、独特の構えから右方向へ安打を量産。リーグ3位の打率.306でチームの2位躍進に大きく貢献した。
その後はインディアンス、ブルワーズでプレーした後、1998年にロッテへ復帰。この時は背番号7だった。フランコ氏が一度チームを離れた後、1997年から21を背負ったのは外野手の平井光親氏。1991年に首位打者を受賞した平井氏は「49」から「2」を経て「21」に。この背番号になって2年目の1998年には、当時オリックスにいたイチローに次ぐ打率.320で打率リーグ2位と活躍した。引退する2002年まで背番号21でプレーし、1年のブランクが空いて2004年からは内が21番を背負っている。
清宮は新入団選手発表会見から2日後の11月26日、札幌ドームで行われたファンフェスタで他の新人選手とともに登場。札幌ドームに集まった大勢のファンを前に「北海道から世界へ」と書いたサイン色紙を披露した。「二刀流」を花開かせた大谷のように、清宮にも開拓の地・北海道から新たな歴史を作っていく活躍が期待される。