JFKに次ぐ中継ぎとしても活躍 「松坂世代」左腕が現役時代に描いた軌跡
2010年から失速、2度のトレードを経て広島へ
2009年はキャリアハイの62試合に登板し、4勝11ホールド、防御率2.71という好成績を挙げた。この年は37歳のジェフ・ウィリアムスが衰え、中継ぎ左腕ではエース格となっていた。アッチソン、渡辺亮とともにクローザーの藤川球児につなぐ貴重なセットアッパーとして存在感を示した。
しかし、翌2010年は、球速が落ち、制球力もなくなり、成績が急落。2011年も2軍暮らしだったが、開幕後の5月に西武にトレードされた。
西武では、貴重な左腕中継ぎとして期待されたが12試合の登板にとどまり、翌2012年のキャンプも終わった3月になって、トレードで広島に移籍した。
広島は江草の出身地でもあり、ここでも活躍が期待されたが、1年目に26試合に投げたのが最多、以後4年間は1桁の登板試合数にとどまった。2013年にはトミー・ジョン手術を受ける。しかし、その後も成績は向上しなかった。
2009年を境として成績は急落、一線級に復帰することなく2017年限りで引退。救援投手にありがちな、登板過多によって、キャリアを縮めてしまったということだろう。
トミー・ジョン手術は20歳代で受ける場合と、30歳を過ぎてから受ける場合で、予後が大きく異なると言われる。江草は33歳のシーズンに肘にメスを入れたが、少し遅かったということなのかもしれない。全盛期はセットアッパーとして一級の活躍をしたが、オールスターには一度も選ばれず。縁の下の力持ち的な役割で終わった。
(広尾晃 / Koh Hiroo)