独立Lで花咲くか…打者転向&投手再転向を経験、「未完の大器」片山の軌跡
強豪・報徳学園から楽天に入団も度重なる怪我に泣く
片山博視は兵庫県出身。強豪・報徳学園に入ってから硬式野球に転向したが、2年生時には春・夏の甲子園に連続出場した。191センチの長身左腕として一躍注目を浴び、2005年の高校生ドラフトで広島と楽天が1巡指名し、くじ引きで楽天が指名権を獲得した。
1年目から2年間は2軍暮らし。1年目は怪我もあり、2軍でも1試合の登板にとどまった。2年目も4試合で1勝1敗だったが、15イニングを投げて12奪三振、自責点3、防御率1.80と大物の片鱗を見せた。
1軍デビューしたのは2008年だった。先発2戦目の7月2日ロッテ戦では3安打4与四球7奪三振で完封し、プロ初勝利を挙げた。当時の楽天は一線級の左腕が不在で、片山に大きな期待がかかったが、この年は79イニングでリーグ4位タイの8死球を与えるなど制球が悪く、走者を出しては自滅するパターンが目立った。
ローテーション入りの期待がかかった2009年は、左指を負傷して1軍登板はなし。2010年から救援投手に転向。当初はロングリリーフや追う展開での登板が多かったが、次第にリードしている7回、8回に起用されることが多くなり、53試合で1勝2敗10ホールド、防御率1.88の好成績を収めた。以後4年間、左のセットアッパーとして定着。2011年以降は防御率3点台で決して優秀とは言えなかったが、被本塁打は少なく、走者を出しても抑えることが多かった。
2014年はオープン戦で左ひじ痛を発症し、1軍登板は4試合にとどまる。シーズン中には回復し、2軍では23試合で1勝1敗、防御率1.59の好成績を残した。しかし、翌年春季キャンプでひじ痛が再発。直後に、当時の大久保博元監督に直訴し、打者に転向した。
片山は、高校時代から打者としても注目されていた。2軍戦で安打を放ったこともあり、首脳陣は開花の可能性は大いにあると判断。この年は2軍では主として一塁を守り、49試合130打数31安打1本塁打11打点、打率.238を記録。43三振と粗かったが、打球は鋭く可能性を感じさせた。しかし、オフに支配下登録を解除され、育成契約になった。
2016年も野手としてキャンプを迎えたが、キャンプ中に投手に再転向。2軍で、打者としては2打数1安打、投手としては11試合0勝2敗1セーブ、防御率4.32だった。再度育成契約を結んで臨んだ2017年だったが、シーズン前に左肘の靱帯損傷と疲労骨折が発覚。3月にトミー・ジョン手術を受け、試合出場のないまま10月に戦力外通告を受けた。11月15日の12球団トライアウトには投手として参加し、4人の打者に対して1安打2奪三振1四球。NPBからのオファーはなかったが、12月にBCリーグ武蔵ヒートベアーズにコーチ兼任選手として入団することが決まった。
NPBでは12シーズンのうち実働は6シーズン。故障、怪我に泣き、大器と言われた才能を活かすことができなかった。独立リーグでは選手としてはもちろん、指導者として大きな花を咲かせてほしいものだ。
(広尾晃 / Koh Hiroo)