【3割打者を考える(1)】初代ミスター・タイガースもこだわった生涯打率3割

1958年シーズン終了時点での打率10傑は

 この頃、元阪神の二塁手で、当時マネージャーをしていた奥井成一が、藤村富美男の通算成績を算盤を弾いて調べていて、あることに気がついたのだ。藤村は、この時点で5648打数1694安打、打率は.29993、四捨五入して3割ちょうど。しかし、このまま使い続けると、あと9打席で通算打率が3割を切ってしまう。

 奥井は監督の日系二世、カイザー田中(田中義雄)にこのことを報告した。これを聞いた田中は以後、藤村を2度と試合に出さなかった。これによって、藤村は「3割打者」としてキャリアを終えることとなった。藤村本人が監督の田中に抗議した形跡がないことを見ても、藤村にも「3割打者」へのこだわりがあったのだろう。

 1958年シーズン終了時点での、3000打数以上の打者の打率10傑は以下の通り。

1与那嶺要(巨人).331(3307打数1093安打)
2川上哲治(巨人).313(7500打数2351安打)
3中西太(西鉄).312(3167打数988安打)
4大下弘(西鉄).303(5246打数1590安打)
5別当薫(毎日).302(3191打数965安打)引退
6藤村富美男(阪神).300(5648打数1694安打)
7飯田徳治(国鉄).293(5420打数1589安打)
8西沢道夫(中日).286(5999打数1717安打)
9金田正泰(阪神).285(5354打数1527安打)引退
10後藤次男(阪神).283(3260打数923安打)引退

 のちにNPBの通算打率は4000打数以上で紹介されることが多かったが、当時は3000打数が一般的だった。

プロ野球史の転換点となった1958年という年

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY