「多分去年で選手として終わっていた」― 楽天・青山を救った“気付き”

今年は「勝負の年」、「最低でも50試合」

 プロ初登板となった2006年開幕戦、3月25日も日本ハム戦だった。仙台で13年目を迎えるが、生まれ育った北海道との縁を節目節目で感じている。

「ルーキーの開幕戦、札幌ドームで最初に三振を取ったのが稲葉(篤紀)さんでした。同じ背番号(41)だし、球界を代表するバッターだったので、あの三振は一生忘れないですよね。500試合目も日本ハム。やっぱり北海道と縁があるのかなって思います。600試合目もハムかもしれない。そのためにも、今年頑張らないといけないですね」

「勝負の年」と語る今年は「最低でも50試合投げないと終わるんじゃないか、という気持ち」と自身にハッパを掛ける。覚悟を持って新シーズンに臨めるのも、昨季後半に掴んだマウンドでの感覚に大きな手応えを感じているからだ。

「これからもいろんなことを吸収したいと思ってます。僕は特別に能力が飛び抜けているわけではない。でも、まだ自分は伸びると思って期待してやっているんで。その思いを怪我という形で、自分の体に裏切られないように、自主トレでしっかり準備を進めています。

 とりあえず1年しっかり投げられるように。1年というより1か月、1日、打者1人、そんな感じですよね。今までもずっとそうやってきたんで、これからも」

 自分に期待しながら向上心を忘れずに1日1日の積み重ね。その先にはチームの勝利と600試合の節目が待っている。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY