新天地・中日で輝きを取り戻せるか…“平成の怪物”松坂大輔の球団別成績

中日への入団が決まった松坂大輔【写真:荒川祐史】
中日への入団が決まった松坂大輔【写真:荒川祐史】

西武時代には最多勝、沢村賞など数々のタイトルを獲得

 23日に中日の入団テストに合格し、晴れてドラゴンズの一員となった松坂大輔投手。新天地で再起をかける37歳は、稀代の右腕として数々の記録を残し、記憶に残るピッチングを見せつけた。ここでは“平成の怪物”の異名を執った松坂の成績を、所属球団別に振り返ってみたい。

○西武(1999~2006年)

204試合108勝60敗1セーブ 防御率2.95

 ルーキーイヤーの1999年に16勝を挙げ、最多勝、新人王、ゴールデングラブ賞、ベストナインを獲得。新人離れした衝撃の成績で世間を沸かせた。さらに、2000年に14勝、01年に15勝をマークし、高卒新人では史上初の3年連続最多勝を獲得。西武在籍8年間で最多勝3回、最多奪三振4回、最優秀防御率2回、沢村賞1回と数々のタイトルを手にした。

○レッドソックス(2007~12年)

117試合50勝37敗 防御率4.52

 2006年オフにポスティングシステム(入札制度)を利用してメジャー移籍を目指すと、レッドソックスが5111万1111ドル11セント(当時のレートで日本円で約60億1000万)で独占交渉権を獲得。6年総額5200万ドル(約61億円)という破格の契約を結んだ。1年目に15勝を挙げてワールドシリーズ(WS)に進出すると、日本人で初めてWS勝利を記録し、世界一獲得に貢献した。2年目にも18勝をマークするなど先発の地位を確立したが、その後は怪我に悩まされ、11年にはトミー・ジョン手術を受けた。

○メッツ(2013~14年)

41試合6勝6敗1セーブ 防御率4.06

 12年オフにFAとなり、13年2月にインディアンスとマイナー契約を結んだ。だが、メジャー登板がないままに8月20日に契約解除を申し出て自由契約になると、同22日にメッツとメジャー契約。メッツには翌2014年も在籍し、先発だけではなくリリーフも経験。だが、全盛期の球速を取り戻せないまま同年オフにFAとなった。

○ソフトバンク(2015~17年)

1試合0勝0敗 防御率18.00

 2014年オフに3年総額12億円でソフトバンクと契約し、日本球界に復帰。だが、2015年はオープン戦で右肩の疲労などで2軍降格。シーズン中に右肩の手術を行い、1軍での登板はないまま日本球界1年目を終えた。長きにわたるリハビリを乗り越え、16年10月2日の楽天戦で1軍復帰を果たしたが、1回3安打4四死球5失点と結果を残せなかった。17年も右肩の不調が続き、結局3年間で1軍登板は1度だけで退団することになった。

○日米通算

363試合164勝103敗2セーブ3ホールド 防御率3.49

(Full-Count編集部)

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