61年前に不安な気持ちでキャンプイン 史上最弱と評された“幻の球団”

1957年3月に解散式、高橋龍太郎オーナーが晩年に残した言葉

 高橋の選手は大映だけでなく、近鉄、東映も引き取ることとなる。高橋の笠原和夫監督は「チームは変わっても野球をするのは変わらないのだから、頑張って練習をしよう」と選手を励ました。唯一のスター選手だった佐々木信也は、3球団ともに獲得を希望したが、大映に移籍。代表の高橋敏夫は選手に希望球団を聞き、交渉を進めた。

 3月5日、選手の移籍先が決定し、翌6日に岡山県営球場で解散式が行われた。近鉄には4名、東映には6名、大映には笠原監督以下30名が移籍。選手たちは球場に駆けつけた移籍先球団関係者に挨拶をしたのち、宿舎の旅館「東洋」に戻り、最後の食事会をした。選手、監督ともに淡々としたものだった。

 大映は高橋と合併し、大映スターズとなるが、翌年毎日オリオンズとさらに合併し、大映毎日(大毎)オリオンズになる。現千葉ロッテマリーンズだ。佐々木信也は大映スターズ、大毎オリオンズでプレーをするが1959年に引退、プロ野球解説者、そして「プロ野球ニュース」キャスターになり一世を風靡した。

 高橋ユニオンズが解散した時、オーナーの高橋龍太郎は82歳だったが報道陣に対して「みんなムダだった」と語っている。以後、龍太郎も息子の敏夫も高橋ユニオンズについて語ることはほとんどなかったが、晩年、孫の一人が龍太郎に聞いたところ、一言「騙されたんだ」と語ったという。

 史上最弱球団と言われる高橋ユニオンズを愛したオーナーの高橋龍太郎は1967年、92歳で没している。実働わずか3年のプロ野球チームだった高橋ユニオンズだが、その歴史は今もなお語り継がれている。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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